鶏足の謎。

2004年10月9日
那珂川 は、常陸の古代史に重要な位置を
 持つ。ここの源流から、会津の阿賀野川源流に
接続できたのではないかという。

 七会村 変な名前だが、けいそく山も変な名前だ。

国見山 仏頂山 など、物々しい名前の山が連なる。

 大辞典 に 鶏足山 が3点出るので、仮に

 日本鶏足三山 と呼ぶことが出来る。

中国雲南省 韓国百済 にある。

 弥勒信仰史 に分類できる。

 山号に 鶏足山 を持ってくる寺号もいくつかある。

 また、寺号の方に 鶏足寺 と来る寺も多い。

七会村と益子町が、茨城栃木県境に鶏足山を有し、

 七会村に真言宗徳蔵寺 があり、弘法太子伝説では、
其の護摩壇が、山頂にあったという。

 益子町には、鶏山寺があり、山号は何だったでしょうか。
 特に、けいそく山との、お話がないものでs中華。

 益子焼の出発は、結構遅いのだが、詳細をご存知で中華。

 計測山頂に、意思があり、先刻文字もあるようだ。
 では、磁力など調べてみたまえ。ヒエログリフ学会。

弥勒のエミシ渡り

2004年10月8日
古代ローマ帝国で、ミトラス教が、流行し
 其のアンチテーゼとして、キリスト教(イエス)
が、出てきた。

 しかし、キリストもミトラスも12.25の生まれだ。

 それはまあ、対抗しても良いでしょう。

アンチキリスト は、ミトラスも、大きく含むことになる。

 ゾロアスター教は、ミトラス教の宗教改革の対象となった。

どうなったかというと、ゾロアスターは、むしろキリスト教になる。

 とは、ゾロ、ミト 、キリ 、アン

 と、交互に振幅しているのだな。

ご苦労であった。

 鬼渡り

 コーランの中にミトラス教もゾロモキリも
ぶっちゃ毛て在るのだろう。
 純粋にミトラスアスラム もあるのか、
 そうではなくとも、戦闘的なのは、現在もコーランではないか。
しかし、Bibleも同じくやってる。
 かえって、ミトルスのほうが、少年らしく規模は
小さいと言える。
 光と水と剣と船
 ならば、熊退治も出来そうだ。

10月7日の日記

2004年10月7日
楽天とライヴドアの球団取得論争が、報道さえる

 もとに、宣伝効果あって、ついに、ぼくちゃんも

楽天で本を注文しておいた。

 先に、紀伊国屋のオンライン書籍販売に向かったのですあ、
そっちを蹴って、楽天に頼んだ。

 紀伊国屋も無料レンタルサイトを提供すべきではないか。

六国史(りっこくし) が、律令国家の200年以上の
 編年体の歴史記録である。ここに、エミシ経営が出てくる。

 鬼渡研究に、立国しなしで、やっていたとは、
 ぼくちんの貧相に対応する。(なぬ?)
 よって、福福しい六国史を読んでみよう。

 立国し一冊本はないか、あるわけないが、

 坂本太郎の六国史と、「裏立国し」なるを
 求めぬ。

 どうみても、それは、解説書、参考書であって、
  禅資料たる、原典購読にならない。
 しまった、ま、いいや、復開けてやる。

六国史のNo.5が、「日本文徳天皇実録」であり、

 大鏡 は、文徳天皇から始まっている。

 大 水 花 増 の4協である。
  なんか違うな。

 水戸で震度5弱と出た。

 茨城県の鬼渡り神社が、

  笠間市 鬼を追い払う。

  御前山村 鬼芝を退治した。

   御前山村は、タケミカヅチだが、
   タケミカヅチというものは、同時代の
    祭神ではなくちょと後の時代に付くのだと、
    菊池天命サンが言っている。 

それにつけても、六国史索引は、全4巻に纏められて完成しているという。
 鬼ワタリなど、出ないものかと、
 それは出ないから出ないのだろう。
  出ないことにも、意義がないわけではない。
  正史からははずされた、裏家業であるのだ、
   と、すねてみたり、おくそえんだりするのだ。

へっぽこ国文学

2004年10月6日
瀬織津姫が実在した神であり、
 創作された神、イザナギ・イザナミ
は、いかにも者ガラリ風の、異国の
 年度細工を思わせる。

この、日本の父母なるところの、ナギ・ナミ
が、国産みをしてから、ナギが死んだことは、
 容易に瀬織津姫の無くなったイメージを
喚起する。あるいは、安易に想起されるのである。

 スサノオが、死んだ母を慕って泣き暮らし
やがて、アマテラスに殴り込むところは、
 熊野の主張が一戦、巻き返しの反攻を
奈良盆地のヤマトに仕掛けた歴史事実を反映しているのだろう。

 古事記は、遠い遠いヤマトの先祖のお話をやってるのではなく
現代史を書いているのだ。

 神々の改竄 あるいは、神の流惨 の
テーマは、瀬織津姫のイザナミ化を念頭に置く。
 もはや、イザナミは、おそろしい黄泉の怪物になった。
だから、君たち、イザナミは死んだのだよ、
 瀬織津 であることを当時の人々は知っている。
新たなる進行、宗教改革とは政治であった。

セオリツの軌跡

2004年10月5日
鬼ワタリ神社のご神体を見せてもらった時、
 オシラサマであった、とはならないか、
そういうところもひとつはあるか、
 二つの石ころだった、ともなる可能施性はある。

 大きい方が、男神で、小さい方が女神だ。
 男神は太陽である。
 では、女神は、月か、それは、何も生まない。
 女神は、水神である。

 始原の信仰とは、そのようなものではないか。

 ヤマトがどこから来て、どんな神を戴いていたのかさておいて、
 大和盆地を制圧した時には、熊野国・伊勢国には、太陽と水が祭られ、
 朝夕二度、賽飯 が、捧げられていたのである。

 大倭のヤマト制圧は、(大きくヤマトは延びていく)

  エミシ(日本はエミシだった)の神々を自祭神のもとに、
 系列化することになる。
 その自祭神とは、太陽をアマテラスとして、最高神にしたのである。

 かくして、女神 瀬織津姫 は異端となった。

 イザナギ が黄泉の国から逃げ帰ったときに、筑紫 と思われるところで
  禊をして、神が出生したが、瀬織津が生まれてはいない。
 日本書紀・古事記には、その瀬織津の名は無い。

 では、どこに、瀬織津 は記録されているか。

 そのあとの、ホツマ伝え に出てくることは、ホツマの面目になってくるかもしれない。

 あとは、神社側の資料である。

 大辞典 に、セオリツヒメ は、出る。
  その典拠は、 延喜式 大祓え (平安時代)

   であり、祓い神四神の一柱に位置付けられたものだ。

 政府文書として、唐突な出現である、のか、外部リンクのようだ。
  ともかく、天智 が、大祓え 編集を命じ、天武・持統
   を経て、文武 が完成した。

 セオリツ は、養蚕の神になって、三河に祭られ、そこから、
  桓武天皇が、遠野に二人の指導員を送り込んで広めた。

 (詳論:「エミシの国の女神」菊地展明 著)
松本清張の作品に、天の羽衣論があったと、
 本物のバイク屋さんが言った。

 ぼくが、オシラさまの解説なんぞをしたのだ。

調べてみると、オシラ祭文 と言って、イタコ さんが、
 唱える(よく暗記してる)中に、

 天の羽衣を取り寄せて、天に昇っていくのだ。

 http://www.hi-net.ne.jp/~ma/
  97 オシラさま から。

 
 美保の松原 あれも、オシラさま ではないか。? 
home 国立工業専門高校
 http://www.5qol.net/hachinohecity/
 オシラ : 
 http://www.5qol.net/hachinohecity/kiji/02.html

 オシラさま は、遠野物語
  から、知られたが、

  各県で呼び方が違うものであった。

 福島県で、オシンメイ とか、オシンメ

  さまと言われ、まったく遜色ないものではないか。

 もっとも、現代では、民俗研究 でしかない。

 鬼ワタリとの関連はないか、
  瀬織津姫 として、調査・再考のときに来た。
  たとえば、分布の状況〔重なり)である。
(菅江真澄)

水神が、祓いの神になる。

 早速、『エミシ一冊」届きました。
 まだ、金は払ってないが、
  郵便局はまだ逃げない。

瀬織津姫 が、鬼ワタリなのか、
 「エミシ』をちょと見たところ、
 エミシ経営に、地域的に持たれたことが、
 やはり、可能的所論であった。

 手術(癌の摘出 :胆嚢 先行摘出があった)
  は、お祓いです。
 機種物心 鬼手仏心
  
 パラリンピックは、日本男子女子とも
  車椅子マラソン金
   を持って終了した。

 富士山気象観測所 無人化した。
    

岩手三山 姫神

2004年10月2日
岩手山

早池峰

姫神山

  シンセサイザー音楽の 姫神 さんの

   訃報が読売に出た。東北の風物をテーマにした、
    と書いてある。

   平泉の寺での行事にライブをした。
    世界的に歴史建造物の前での
    公演を企画したとWEBに出ている。
大化改新以前に、三河は、穂の国と言った。

 ここに強大な国があってみれば、西の大和と対立する。

 信州に、延びた文化圏はありうる。

 諏訪湖に神がいる場合、

 天竜の 水源の神 と、いう事になるのかもしれない。

 天竜を下り、駿河に入る。

   すると、穂の東になる。

 この3角形は、とうりゃんせだ。なぬ?
ISBN:4894264153 単行本 菊池 展明 風琳堂 2000/11 ¥2,625

 その昔、日本には、瀬織津姫
  なる最高神があり、
 大和朝廷のアマテラスの原型になり、
  その実態は忘れられた。

 瀬織津姫は、崑崙山から来た。つまり、モンゴロイド
  ジャパネスクである。

 オシラさまとなり、
 鬼渡となった。

 11面観音と集合し、
  栄え歌村麻呂とともに
 笑み姿勢等に 、逆輸入されたのである。

  それこそが、鬼ワタリかもしれない。?
15 以上あります。

 参考サイト 水神論 :
  
 (「東北伝説」: 
http://www5.ocn.ne.jp/~furindo/index.html

吾妻鏡とは

2004年9月29日
大鏡 増鏡 以下、5鏡が

 平安歴史書になっているのか、知らない
 私は知らない、と胸を張ってもろいだろうか。

 鎌倉になり、

吾妻鑑 とは、源平合戦 平泉妥当などを含む
  

 ここにおいて、鏡と鑑 の別を生じる。

そのへんんおところは、久弥先生にお願いします。 
みちのく 毛越寺 で、またら神祭り

 を観ることになった菅江真澄は
 当時の観光案内(京都)を引き合いに出し、
  金毘羅であり、スサノオであり
 比叡に祀り、広隆寺牛祭りに出る。と、書いている。

 そのうち祭りが始まり、追って記事にしているが、
  鬼が出ないうちに帰ってしまったのか、
  省略したものか、どうも牛祭りのようではないのだ。

ともかく、マタラが、ミトラで、弥勒だろう

  というようなことはとても言えないのである。
 と言って、言っておいた。

温海町探訪

2004年9月28日
山形県西田川郡温海町
 昭和29年合併

 西田川郡福栄村 は、消えた。

 鬼渡 の地名は、確認できないが、
  鶴岡市から、入る 鬼坂峠 がある。

 温海町役場 さん ありがとうございました。
 (電話)

 今は、福栄村を検索すると、山口県にある。
小字地名に、鬼ガ久保 がある。
 温海町の木野俣に福栄小学校・福栄中学・
  福栄郵便局・福栄交番・福栄出張所。

 角川地名大辞典の小字名に福栄村鬼渡は存在しない。

 東田川郡羽黒町に荒沢はあり、
  荒沢寺 は、羽黒山自動車道路の途中にあるようだ。

 東田川郡朝日村に、荒沢ダム がある。
  朝日村は、新潟、長野、岐阜各県にもある。

 確か、俵田遺跡(祭祀木片)に
  ○○鬼座
  とあり、そのまわりに馬が取り囲んでいた。
  酒田市だったと思う。上山市とは信じられない。

 泡海郡は、どう読むか。
  八幡(やわた)町は、鳥海山を望む。 

花泉の産土

2004年9月28日

home http://www.nishi-iwai.org/
http://www.nishi-iwai.org/ubusuna/index.htm
花泉町油島http://www.nishi-iwai.org/ubusuna/yushima.htm
美渡http://www.nishi-iwai.org/ubusuna/519.htm

平夷伝

 若柳金成インター

 金成の鬼渡と、花泉の鬼渡は、坂上田村麻呂が祈願建立
みちのくへ鴨長明は、
 旅したかも知れはしないが、
確かには、関東までは下向した。

 埼玉県入間川の洪水を記録しているのが、
あれ、何集、発心集

 実朝に会ったとは、吾妻鏡でしょうか。
多分、新古今集の打ち合わせではないか。?

 その、姉歯の松の歌は、平泉の千葉さんが知っていて
菅江真澄に教えたのか、ぎゃkなのか。
 其の歌は、私事、暗記できなかった。
菅江真澄全集・第十二巻
かすむこまがた 続

桓武の御代に、屯し給ふとき、そのあたりより、里の子、ここらのこがねを、ほり出して奉るを、めで給ひて、金田のさととつけ給ふつ(ママ)。そが後は、金田の庄といひて、あまたのむらむらにわかつ、ここを金田のもと郷と定めたり。

田村麻呂、夷をたひらげ給ひてのち、鬼渡の社、てらし山の観音、照山南円寺を建給ひしといへり。ふるあとのこりぬ。頼義、義家かまへ給ひて、金田城と名をいひ、すなはち、康平五年、この御社をいとなみ給ひしといふ。その頃、大外記博士(従五位下)周防守清原成隆、中原清房、菅原公成、藤原正弘、これを清中菅藤の四の子といへり、みないのりのことを、つかうまつりて、加輿丁となりて、みこしをかかげ、先づやはたの御神を、さいたてて、いくさし給ひしとなん。成隆は、此社の祝となし給ひて、代々その末なり。寛治七年のころ、藤原清衡、八幡宮に、つかさあまたそへ、八幡山金田寺を創し、別当のそくに任し、南円寺のすへ寺とさためて、天台の僧たちをすませ、閻浮檀金のあみだふちをたて、八幡の本地仏と崇め奉り、保安元年に、八幡のみかたちを奉る、運慶の作るといふ。

(中略)
足利大崎、斯波左京太夫源家兼のきみ、郡県あらためのとき、金成邑と書給ひ、寺の名もなをし、永和二年のころ、探題大崎左京太夫詮持あらためのとき、天台の僧徒をはなち、宥義といへる、修験者に照山観音、鬼渡社、橘次の建し、三熊野の宮をまもらせ給ふ。宥義の遠つおやは、大外記博士成隆なりけり。験者となりて、出羽の羽黒山へ登りしは、康暦二年七月也。三迫の大先たちとなりたる、応永廿年九月七日、金成、三田鳥赤児、藤渡戸、末野、有壁、処を霞(ママ)に賜し処を、あるじの法印、かたり給ふ。くさぐさなることは、みなかいもらしたり。

http://www.st.rim.or.jp/~success/kasumu_12.html
菅江真澄
 かすむこまかた
http://www.st.rim.or.jp/~success/kasumu_mokuji.htm
home http://www.st.rim.or.jp/~success/yositune.htm

 和名抄

  抄 とは、すべては網羅できなかった
 の言いであろう。

 広辞苑 
 日本国語大辞典

  大体同じ内容である。

 それらに先立つものは、
  
 大辞典

  であろう。

  大辞典に当たっても、
  ほぼ同じだが、

   地名人名など
   一日の長に在る。
    っいぇか、省略したのが、
    広辞苑などになってくる。

 以上素人の間奏で恐縮です。
ISBN:4087200388 新書 門屋 光昭 集英社 2000/06 ¥735

 鬼渡大明神 のprofile

引用P.116
  羽黒山峰の権大僧都法印善行院が、荒沢
  鬼渡大明神のお堂にこもり、・・・
  舞い終わって、即ち我こそは金剛界大日、
  我こそは胎蔵界大日の化身なりと、
  もろもろおっしゃり、消えられた。
  引用終わり

 〔岩崎剣舞の由来伝承)

   この文脈から、大日如来 が、鬼渡の
  招待であると、いや、正体ではないか。
   著者は鬼渡に言及されない。

 なお、すでに、平成5年、剣舞供養碑が、
  羽黒山にも建立なり、それ以前から、
  羽黒山に詣で、各舞組が舞入っているという。
 

  宮沢賢治の遺志は、かなった。
  

< 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 >

 

お気に入り日記の更新

日記内を検索