一郎は、旧車TM300、電気バイクに、
 活 のスィッチを入れた。

ガソリンエンジンの時代の名残は、
 数字に表されている。300ccの力量にあたるTM300だ。
 ところが車重は、70%になっているので、
オフ・ロードに、電気の300が、標準になっている。

 新型オフ車、TM200は、48kgの軽量でダートに
君臨し始めている。

 ガソリンエンジン特有のエンジンブレーキが、なくなり、
ブレーキング・コンピュータは、各社それぞれに味付けしてきた。
 人間工学的標準値が、提示されたが、なお、ライダーの個人設定は可能である。

 一郎は、雪見通り郊外の陸橋を越え、春野森林の中を
真数具に北上していった。

 音がない電気車両進行時代になってから、マフラー状の先端は、

 爆音代わりの効果音を出して走るようになった。
 これを消すこともできる。一郎は、爆音代わりに、
  わめきながら走った。
 一応、”ヴァンゲリスのドラゴン”がBGM爆音として付いている。

 風になりきょうも歩いてきた。
  昔の詩人は奏詠んだ。
 一郎は、風になって、空を飛ぶ
  空を飛んでいる のだった。

 いつか、単車は、空を飛ぶだろう、ET、シンセサイザーが、
  歌っている。

風電車

2004年7月30日
一郎が、単車に乗ってひとり、大川の鉄橋を見に行くと、
 風は強く吹いていた。
春に塗り替えた鉄橋は、白く夏の陽に光っている。
 赤く点在する数個のかざぐるまは、単線鉄橋の両側に
3個ずつ並んでいるのだ。
 風力を電気にして、グロブ鉄道は走る。
 風がないと、止まる。それではなるまい、
 と、電池を積んでいる。

走りながら、車両先頭の風車も回る。
 これが電気を作って走るのだ。

一郎の単車も、ガソリンエンジンではない。
 それはすでに、廃止され、博物館に入った。

堤防の上に、風車は、20m感覚で延びている。
 M-P工業団地に、すぐにも供給される電力であった。

一郎日記

2004年7月29日
トナ町度風呂駅がある荒野地区は、
  
 温泉が湧き出るウリウリ旅館

 高水位硬水湧泉P、Q、R

 ぬるま湯が出るポッカ・リン

   の、3観点から構成されている。

 きょう、僕たち大検友の会メンバー5人は、
  BMW先生の小型バスに運ばれて、
  ポッカ・リン総合体育牧場に行った。
  こんな近いところは、自転車でそれぞれに
  行っているところだが、
  BMW先生の医学進学塾に集まったついでに
  午後の団体出動になったのである。
  いつも僕は、岩場の走破を主にしてる。

  僕たちは、牧場の餌をもらい
  ウサギの皆さんとお話しをしてから、
  体育着を借りて
  人力発電の奉仕をした。
  水着を借りて
  ポッカリン・プールで泳ぎ
  涼しいカフェテラスで
  4時のおやつをいただいて
  雪美病院に帰った。
  僕は、塾から歩いて帰った。
  塾では午前中3時間、複素関数論をやった。
  講師は、矢野症三郎先生。小児科の若手だ。
  インターネット法科大学の
   公民館の法律 
    のリポートをPM9時に送った。
   大学教授は、速水雄介。
  
   

鳥人伝

2004年7月28日
 メインストリート、雪美通りがゆるやかに湾曲して南南西へ流れ、
  穀倉地帯が広がってくる。稗・粟・芋・野菜
   の転作が試みられる。米は固定した水田になり、
 水田2割の「広域農業景観法」が採られている。
 経済効率主義が否定されていた。

 シンセサイザー帝王が、特に空から降ってくるためである。
 それはまた、各人の心にある風景でなければならないとされた。
 かくして人は空を目指すことになる。

 北は森、南は畑、国道「奥野道」は、以上のように、この町を縦断している。

 

 

 
 

シンセサイザー帝王

2004年7月27日
有料駐車場には、金星人の宇宙船が多くのレンタルを取っていた。
 月極めの契約を、そんな、森林の中に、確保しているものは少ない。

 一郎の父親の伊知郎がそこを借りたのは、森林トレッキングを
趣味としているからで、週一回の定休日に出かけている。
 車を降り、側道を取って返して森に向かうのだ。
 さすが、家具商人は、木が好きなのか。一郎は思った。

 車を置くところは、ごく限定されている。自然の生態系を守るために、
という話になっている。
 しかし、この国に、独裁者、金性格の新、とあだ名される、シンセサイザー
 帝王が君臨して、行政は変わってしまったのだ。
  シンセサイザー帝王の真意はわからない。しかし、その、
 一風けじめ正しい方針は、すうきりとこの国のコクミンンウェを納得させている。
 国民は、コクミンウェ と呼ばれた。

 トナ町春野民族

2004年7月26日
トナ町に、グロブ鉄道ができたのは、19年前だ。
  一郎は、その年にトナ町で生まれた。
  一郎の祖父の代から、トナ町北区に住むようになり、
   家具屋を営んでいる。店舗付の住宅である。

  駅は、町外れの東荒野の中の、ドボロ駅と
   同じく町外れの西大川の端の、コクリ駅。

  レールは、森林の中を、町の北外側に通っている。

 駅が町の中にあることは、自動車時代には、邪魔になっていた。
  そこで、鉄道は郊外に引かれるようになっていった。

 線路を越す道路は、陸橋もしくは地下道になり、

    あるいは、線路が高架だったり地下をくぐった。

 踏み切りは無くなっていった。

  
  トナ町を北に抜ける雪美通りが、グロブ鉄道ボイカ線と交叉する
 春野陸橋の下に、有料駐車場がある。  

 

 

 

毛会

2004年7月14日 ポエム
書くことがナイト言うことは、騎士道精神に反する。
 人に言えないことはある。言って良いことと悪いことがある。
空気を考えて、躊躇する。
書くことはいくらもあろうが、各琴が無いと言う。
 それは、省力した表現であり、みざる、いわざる、きかざる、
謙虚な姿勢が、自分です、と言えば、ナイトである。
 したがって、雄弁が沈黙に勝るには、謙虚な訓練によって、
アカデミックな求心力を持った場合に保障されるのみである。

 それでは、「知の世界の放埓な記憶」(松岡)を心として、
断片集を作っておけばよい。

 「アウトサイダー」も「孤独な夢想者の散歩道」も
正確に読んである。さすが、松岡だと感服した。
 衝撃的内容だが、破綻はあるのだった。
 今夜は、僕も破綻してみた。スケールが小さい毛尾根。
 文明の衝突 ハンチントン1993 
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/~haruta/clash.html
home http://www.hum.u-tokai.ac.jp/~haruta/
  (東海大      )

第一次文明戦争 エルマンジェラ1991 
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0720.html
 (千冊 2003.2.25)

 第二次文明戦争は、進行中、ってか。
 
 パーティ学 社会工学 国際関係学科 多分歌主義 の
  敗北を宣告しても過言ではないで小ねえ。
   そうではないよ。
奥の細道 だか、おくのほそ道 だか知らないが、
 あんなへんてこりんなわけのわかりにくい文章は無いよね。

 そうdふぇもないよ。

 まあある程度、教養も必要だわ差。

奥の細道の旅の松尾芭蕉は、どこでその旅を締めくくろうと
 考えるとも無く、よしこれで以降と思ったところが、
そこだったわkじぇである。

 では、あの、タイトルは、出発から決まっていたのか、
いつできたのか、と、どうでもいいけど、充分、国文学研究は荷は
 浮けまくる論考が存在する。

 ところで、松岡正剛氏の「線や千冊が」後7冊になってきた。
 長いたびももうゴールイン間時価、マラソン大会の
 テープが眼に浮かぶ。

 きょうはなんと、おくのほそみち が、掲げられ、

 なんとなく書き始められた一日分は、最長の枚数になっているかもしれないと思われる。
  途中段落に多く差し込まれたるは、あの人の挿絵である。

 芭蕉俳句の推敲、これはすごいものがある。
 句集、紀行文集の、編集作業。
 自己人生の編成。俳諧連の経営能力。
  そこに、松岡氏の編集皇學館が、働いてくる。

 松尾芭蕉、離脱の人であった。
 すなはち、段りん風はいかいというのか、
  武士、町人にも浮けまくる灰風。
 そいこを、やめて、芸術に行ったとする。

 えー、もう書かない、もはや、何を読んだか
  考え中。
 あ、読んでないんだ。ははは。
  
 奥の細道という地名は、
  宮城から山形へ向かう途中に?
  あるという。(確か、高橋富雄 氏)

 あそうだ、松尾芭蕉、体調優れない時、
  馬に乗った。
 馬子にも衣装、雲助(駕篭かき)、
  と言って、荒くれ者が多かったが、
 金も高いので、なるべく歩いた。
  歩く時、なんば と言って、
  右手右足とが一緒に出る、
  それが、江戸時代人の足の速さ長旅の
   秘密であった。(あの武道家、甲野義○ 氏) 

 
日本近代スポーツ・オリンピックの父が、
 嘉納治五郎 となっていたとは、
今日知りました。笑

 小説「姿三四郎」の中で、
 先生、矢野健太郎 は数学者なので?
  矢野っ健次郎だっけ
  矢野先生は、どこかに出勤したり
   洋行したりしていたよね。
 いまひとつ、正体がわからなかったような。
  もう一度呼んでみよう。

 それがあれば、「精力善用」「自他共栄」

 なる言葉が出るはずである。

 これを思うに、なにか、なにかなにか、
 
  反戦非戦 を感じませんか。いかがでしょう。
 では、よく読んで身抹消。
  (資料が無い。) 

 ところで、ぼくが初めて柔道着を身につけた時は
  ズボンの前と後ろが同じで困った。
 腰の結び紐が、後ろで結ぶか前で結ぶかになる。
  それは前で結ぶのであり、(腹のほう)
  背中で留めるのではない。
 なぜならば、背中では、受身をした時に
  結び目で、痛いことになる。
 そう、教えられて、あ、そっかー
  と、激しく感動した。

 その柔道ズボンをはいて、柔道場に立ったのではなく
  数学の問題に立ち向かったのであったが。
 

1882+82=1964

2004年6月10日 連載
NHKプロジェクトX は、戦後史をやっている。
 明治15年、講道館柔道が始まって、戦後、国際柔道連盟は
組織され、1964年東京オリンピックで、正式種目となった。
 重量級までは、日本選手が制したが、オランダのヘーシンク選手の脅威は数年続いていた。

 大器晩成、上村春樹が1976年モントリオールの無差別級優勝に輝いたのは、
 相手の技の機先を制する左手首の柔軟な対応にあったとされる。これは師匠神永昭夫の
直伝の技である。つまり、対戦相手は技が出せない。封じ込める。
 モントリオールの前はモスクワであったが、一回お休みとなった。
その前の1968年ミュンヘンでは、上村は、国内で代表選考戦に敗れている。
 ミュンヘンでも、無差別級はやられ、5位どまりであった。
監督、神永の巻き返しは完敗した。
 
 神永、仙台出身、明治大学にまちがいないな、が、1964年
東京オリンピックの決勝前日に膝の靭帯断裂になったことは、
 昨夜のNHKぷろじぇくとXで、初めて公開された。これは、
いろいろ考えさせられる要素ではある。松平容保も、孝明天皇の
 勅許を早く指し示し、官軍はこっちだと言った方が良かったとも考えられる。

日本柔道が、自信喪失になって行ったのではないか。1964から、
 12年後の上村。
 1980年ソウルの人は、脚を負傷したことは公表し、エジプトのアラジン(仮名)を
  倒した。これは、アラジンが、ちょと、手加減したとも解釈されたのは事実であり、無根の話ではない。
1984年だっけ、斉藤は、シドニーだっけで、優勝。
 2000年バルセロナで、古賀と吉本が練習中、古賀が怪我した。
  しかし、古賀は予選から勝ち抜いていった。強いものは強いので、
怪我をしても、棄権で終わらなかった。翻って、1964の神永は、予選でも
 ヘーシンクにやぶれて、歯医者復活で、立ち上がったが再び、敗れた。
 靭帯は断裂したが、いいわけにはならないと思ったのだ。敗者だ。
しかるべくしてしかあった、その敗者の哲学を12年後結実させたのだ。

 オリンピックが何ぼの文字やい、という前に、そんな余裕が無かったので、あまり詳しくないです。  
 
 

北の星

2004年6月6日 家族・子育て
会津藩には、「ならぬことはなるぬことです」
 という、厳しい倫理規定があった。
 何がならぬことであるかは、弱いものをいじめてはいけませぬ
 など10数箇条にわたるものだったと思うが。
詳しいことは調べればすぐ出てくるはずだ。
 婦人と立ち話をしてもいけない。

当時、藩とは言わないので、会津家 である。
ゆえに、家訓(かきん)と称される。

 さきほど、北国の、北星学園の、
義家○介先生をちゅうしんとしたNHKの取材番組が流れ、
 いささか、熱心に拝聴していた。

 悪いことは悪いこととして、小さい芽のうちに徹底して
つぶしていくのだとする。

 余市町といえば、明治の開拓団として、
  会津人が入植し街づくりをした。
なにか、つながるものがあるとすればおもしろいが、
 ともかく、ならぬ哲学ではある。

会津藩の「ならぬ哲学」は、幼少から、少年団の中で
 自立的に鍛え上げられていた。そのグループは、
 什 と言われ、家訓とは別の、什の教え
  であったのです。

家訓は大人用、什の教えが、生徒指導ですね。

 ところで、私は、小さいゴミも捨てず、唾も吐かない、
路上とは、江戸時代は清潔であったことが、外国人の
 手記にも表れているそうな。
 そのた、細かく検討して、しかるべきではないかっかっか。

短歌隠し異論

2004年6月2日 ポエム
菜の花や月は東に日は西に

 月は東に日は西に菜の花の沖

菜の花や日は西にして月上る

 など、既存は行くならびに
時局の当地をおこのうてみる。
 とおもしろいかも。

 必ずしも、5t5 ではない、
tが、動的であったりする。t55.
ところで、太陽暦がSunday から、
 Saturday まで、1week=7days
となったのは、
Egyptian のせいであろうか、しらないは、
 知らなくても粋年いけるからですが、
calendor が、そういう四角い7並べ
 の場合、左下がりとは、右上から左下へ
行くと6日ごと、右下がりだと、8日ごとに
 なるのは変ですね。
 Wednesdayを中心線として左右対称ではない、
時の流れの、左から右へ、ああそうですかい。

幻学四重奏

2004年5月25日 読書
 カント「純粋理性批判」の岩波文庫を半年ぐらい持っていました。
 このたび、ご指導によりまして、ちょと思い出しました。
幸い、ウェブ上で、第二版の前書きをちらと見ることできた。
 数学や自然科学が進歩したように
哲学も弁論術ではない哲学的有効を多々炊き出そうではないかっかっか。
 そんな感じ。読んだ覚えはあった。
 その後、僕は、数学科に行った。
  数学で哲学殻何から使用としたのです。
しかるに、形而上学(哲学)方面の語彙は
直感、感性、純粋理性、実践理性、道徳と宗教、偶然性の哲学
 すべて何を言っているのか若菜内。 では、詳説を読んでみよう。

 わからないのも当然である。わかる人は何人いるであろうか、と大学の専門化が
講座を開いて金を徒労とも、アリストテレスがわからないんだから、
 すでにわからない落ちがある。 翻訳だから。
 「老子」の研究をした人がいて、どの解説書もわからない、
 拙者はこう読めた、と、本を出した。近頃の老子情報は、
 英文の老子が、わかりやすいともっぱらの評判である。
 あの人は、小川環樹訳もさっぱりだと書いていた。
 さて、前書き(あるいは序文)が、言っているのは、「伝統的な、イデア論争に立つとき
私は、[形而上学]が{僕はアリストテレスの責任か知らないが、}
 途中から、経験主義に傾いてしまったと考える。
 ソクラテスプラトンの復興がなされるべきであろう」

 「批判」されるのは、単純に明快にアリストテレスであったのではないか。
ところで、NHK新撰組のテーマが、タンタンタンタリラターン
 とする印象的なフレイズで記憶された。タリラが、3連符です。
 4/8 に書かれるかもしれないが、4拍子のボレロ風である。
 アクセントが、強弱強弱/強弱2/ の一般の一辺倒
   ではなく、2拍4泊の上にストレスが書かれてもおかしくない。
 それだけで終わらない独特のリズムがそこにできるのではないか。
  
 いかにして、良い音楽を作り出せるか、と考えてることにも、哲学のモデルが
  そこにある。音楽理論が極められては伊豆、
   哲学理論自体が完成されたのではない。

 カントの父が時計職人であり、カント自身が時計であった。
  時計が、彼の哲学的モデルだったのです。うっそー。

 あそうだ、諸科学の進歩が、哲学にとっても
  有効に作用してくるでしょう。
 ところで、哲学とは何であったか。
  形式論理学が、どういうものかと考える狭義のものです。
   しーらない。では、哲学の杜杜へ。

結 & 連

2004年5月19日 連載
我が家の近くにやってくる焼き鳥の移動販売車
 から、誘いのうまそうな臭いがただよってくると、
本日も買っちゃおうと思った。けれども、8時ごろ
 玄関から出てみると、もう臭いが消えている。
ぼくは、コーヒーを買いに行くついでに、焼き鳥屋をチェック
 することにした。車は、折りたたみ式の出屋根を下ろし
そのパネルには、一家族の漫画が書いてあった。
 わずかに、臭いがした。
ざんねーん、次の機会に。
 運転席に、焼き鳥名人はいず、たぶん、
となりのラーメンにでも行ったに違いない。

 ところで、飛騨高山は白川郷も含んでいたのだ。
現在は、高山市と白川村が隣する。天領になっていた。
 というわけで、ここは、長野県でなく岐阜県である。
富山の、庄川、方面につながる。地図を惰性。

 http://www.chuokai-toyama.or.jp/tyknit/kankou/gokayama/yurai.html
  home http://www.chuokai-toyama.or.jp/tyknit/kankou.html

さて、その白川郷の、結 とは、合掌造りの共同作業などで発揮される
  組の仕組みであろう。
 江戸時代は、結 と 連 があった。
 連 は、趣味のつながりであろうか。
 結は村落の内包的活動であり、
 連は、都市的な外延的活動である。
  以上のように、無いほうと良い外延というのか
 定かに把握しないがあてずっぽうでよいと巻け。
1.
http://sogi-iso.jp/jouhou/sougi10/10_3_5.html
home http://sogi-iso.jp/


五輪塔  : 空風火水地

2.
http://www.geocities.jp/enten_eller1120/easy/kodai-2.html
home http://www.geocities.jp/enten_eller1120/philindex.html


「アリストテレスの世界観」 : 天上&4元素

3.
http://www2s.biglobe.ne.jp/~t-sato/biyako.html
 home http://www2s.biglobe.ne.jp/~t-sato/


引用五行の論  : 日月(要因たる陰陽)加水目菌どう

風街外路樹

2004年5月7日 ポエム
風に関する考察と緩急(研究)

風力発電
 風船
帆掛け舟

 風には、影がある。
 風は、無償に吹くが、
 風は、透明だ。
 風は、賢治の風の又三郎さ。
 
 風が、さやぐ。
 風は、そよぐ。
 風は、薫風。
 
 風は透明人間であり、鬼
  であった。
 風は、木とともにあった。
 木+風=楓 
  とは何か。
 
 枝がさやぐ。
 葉がそよぐ。

 その時、風の影が見えるのだ。

 風の存在は、その影響力によって知られる。

 風無き町に陽は照れる 八月の

牡丹と釦

2004年5月1日 連載
蘭学の「ボタン」が、江戸時代にどう日本語として借り入れられたのか、押すボタンンpの意味は当然、英語の普及に夜が、
 押すボタンもどう普及して言ったのだろうか。
多分、機械的な輸入物の中にBUTTONはあたのだ。

 

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