遠い維新席の男が山男で死に

 通りかかった家が取り壊された。

目的地に着くと始めてあった人が、

 山男の幼馴染だった。その人によると

 遺族である家族はマンションに引っ越した。

間奏日記

2004年11月19日 友達
それは、2001年11月8日のことだった。

 スイスからのライダーが、ユーラシアを超えてきたと言った時
  アフガンが頭をよぎったのだ。
  9.11 二機のハイジャックがNY貿易センタービルに
 突撃した。その秋の晴れた午前のことだ。
  その日、史談会の旅行バスに乗り遅れた私は、
 4気筒バイクで、会津図書館に行った。
  
 やつに会ったことは、今思えば、大きな幸運だった。
 私の思いは、世界に飛んだのだ。
 彼は、会津図書館に、少なくも2回来た。そのうちの2回目に
 私としゃべった。1っ回目は、五見嵐之助がやつを見ている。
 彼は、インターネットを使いに来たのだ。
  スイスに連絡をしたり、コメントを受け取っていたのだろう。
 ホームページに、近況を書き込んだのだろう。

 あまりのスケールの大きさに圧倒されたこともあるが、
 邪魔しては悪いので、ちょとしか話さなかった。
  何より、GoodBike と、言ったのが、
  まずかった。He had gone .

 オレは、いつ怪我して、いつスイス人に影響を受けて、
 といったことがわからなくなっていたので、
  オレの大検高校新聞 の記録を探したが、整頓が悪いので、
 発行したまま、消えてしまっている。
  そこで、本物の日記を見たが、これがまた、ごちゃごちゃしていて、
 さっぱりだ、
  念のため、ホームページを見ると、大検連の項目に
  2000年に京都のセロー野郎にあい、
  2001年にスイスのモトグッチにあい、
   と書いてあるので、そっかと、日記を
   見直すと、スイスからの森林組合
 と1行書いてあった。
 
 おのれの現代史はかように激動に展開しているのであった。 

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