ぐったりした

 げんなり へばった

 弱ったと言うことですよ

 呼吸困難

 痙攣したのか (持ち直せた。)

不覚の医学

2010年1月29日 ポエム
その時 その時に頑張れなかった人々がいる。

 あるとき、頑張れると思う。

 無念であったろう、

 残念だねえ

 残酷なしだ。

終末の構築

2010年1月25日 お仕事
生かそうとする生かし方にも分岐点がある。

 看取ろうとすることはタイミングが合わない、

 クライアントの気持ちなどわからない、

死んでしまったらおしまいだ、

 宗教の力は再生されない。在ったのか?
姿三四郎と桧垣源之助の戦いの場は?

 弟 鉄心、源三郎 との戦場が 峰の薬師寺

神奈川県津久井湖西北の薬師山山頂である。

 参考 読売 「訪ねて あの舞台」

映画の舞台にもなったのかどうか。もう一度視てみてください。

 境内の茶屋で、富田常次郎は、話をした。
 形見 とはなにか。

 なぜ、社会は 遺骨 にこだわるのか。


 物は既に物ではない。記憶だ。

 道具としてオカルトとして、

 遺骨は収拾されねばならなかった。

他山之石

2010年1月11日 笑い
君はずいぶんぼやぼやした人だ。

 詰まらん女に引っかかって。

 ぼやぼやと親御が死んでしまって。

 薄ら笑いをして。

 人生の大半打診で居る。死んでいる。

執行猶予十年

2010年1月8日 ポエム
あと10年この職業をやるが、たぶん次へ移らなきゃ遺憾だろう、

 と考えると、転職が執行であり、猶予が十年だ。

あと十年でどうなるかたぶん駄目だろう、

 この土地を、後十年で出て行く

青山を求めているのだった。
1年飾れる年賀状は、裏が作品

 壱将功成って万骨枯る

 累々たる先骨の地層の上に

 いかなる地上の王国を・・

食い改めよう。
寅屋 と言うセットを造ってしまった。

 葛飾柴又と浅草は対岸になるか、

 行ったこと無い空けど

寅屋のような店は有るでしょう。

 そんな人は居ない。
王様には一人の娘と2人の息子が居た。

 王様の日常は長男が面倒見、

 王様が施設に入ってからは、次男が所長で

 面倒看ていた。

 王様が弱ってから、娘が来ていた。

 臨終の時、娘に王位を譲った。
食い物も無かった。

 暖房も無かった。

 学校は災いであった。

 教師は最悪だった。

 ディベートも無意味だった。

丑年

2009年12月27日 演劇
親殺しといわれても良い
事実だ、親をあなたはコロ下も同罪だ。

 この国の医療 この国の学校

 殺したと宇吉郎が言われても仕方ない。

何と冷酷な病院の施設の青い紫陽花よ
見放してはいけない と鎌田氏が。読売

 奇跡は起こらない、粗雑になってはいけない。

 弱ればますます丁寧にケアしなければならない。

 話を聞くことは、其の体調に洞察することと同じだ。


 介抱ができない社会と医療・家族だ。 
ふりょのし

 きゅうし

 納得いかない


 あいせきのねんにたえず

 おのれをはじるのみ
クリスマス九千とは、あと7千年の未来に何かが起きる、

 黙示録は遠いぞ、酒器に変えるのか侠気になるのか、

一時戦闘を止めるとは披露の政だろう、

 少し譲り合い、助け合えばよいものを、

そこまでしては、元も子もない第二次世界大戦の映像が贈られた。

開化するIT

2009年12月22日 動画
動画がTVのCMのように有力な宣伝に

それはおもしろいホームページのツールとして、

企業のサイトに必須のものになる。

中小企業の技術を紹介できるということである。

これは一つのいわゆる通信手段であるが。
危険な凍てつく夜の道

滑って転んだ人を思い出す。

二度も坂になった自宅入り口で

また、開業したての医院の廊下で

すってんころりと後頭部を打ったのは少なくも3回である。


無論年代もあるが、事故で側頭部を打ったのは、その間だった。

・・・魂を残す

2009年12月20日 日常
日曜だ日曜だ日曜だった

日曜散歩は買い物へ。

 日曜協会は、ウェブキリスト協会へ

永遠の命!!

 救い出すくいだ救いだった。
今冬っは暖冬になるという期待も込めて、

 長期予報を見てないが、こん積雪は消えるバイ。

 タイヤも面倒な、夏物で言いや。

 走らなければ良い。今冬は、

特別な、春は近いようの思える。

旅人

2009年12月16日 ポエム
失敗 しょんぼり

 しょんぼり 失敗

 しょんぼりぼり

 しょんぼりとは何か。

 しょんsてょんぼりぼり旅に出る

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