スマホ iPhone で、simは、解約のときに回収されてしまったのではあるがそれにしても、

何回も接続がシャットアウトされる、特に、snsで顕著だとも思うが他も同じかなと、ともかく、多少サイトに寄って差が出るのかも知れん要因が、クッキーのもんだいかどうか、他の問題化としても、


電波障害であることが、考えられる。これは、おしらく場所的に、電気敷布であろう。

電気毛布にもなる優れ物ながら、


電磁波が出ている。測定する機械は持っていない。

しかし、iPad は切れない、が、ちょっとは切れたのかもしれない。

電波の種類にもよるだろうし、いろいろ条件と結果が有るのだろうが。

光と無線LANルータで出る電波に、某社の製品が障害を、ということです。

麻生だ にんげんへのえいきょうが、どうなってるか、かなり強いと考えられる。

まあ、規格があって通過してるとは思うのだが、。

士衛館

2013年4月24日 あいず
負傷した土方に代わり、新選組隊長、山口二郎、

白河口

如来堂

と戦い降伏に入った会津藩に連座した。、、、

斎藤一無くして、新選組の誠はなかったと言える。藤田五郎の終焉。


NHK 歴史秘話。

三題噺

2013年4月24日 笑い
ちくま 5月号に 多くのエッセイがあり、

ここで一つ、世の中ラボ 日本の対米追従はいつまで続く


斎藤美奈子は、


日米地位協定入門 前泊博盛

裏切る政治 小林興起

帝国解体ーアメリカ最後の選択 チャルマーズ・ジョンソン


を順に読み解き、

日本は、目覚めよと言っている事は明白であろう。




以上を順次解説して行くわけですが、僕が代理で書くのも、もう目が、山本覚馬に
なりつつあります、これは、、事故により、ウェブのせいではないのでありますが、さて、

結論的に、アメリカ幕府が幕末に来ている、


日本は、今後、京都守護職として、幕府の代わりに薩長こと、中北に打ち破られる、


その時韓国もあっちに入るであろう、と言った地政学的配慮から、面白く書いてみました。では、


さよならさよなら 左様なら。

秘密の次郎物語
昨日 IRA の福一視察の声明。



怖い怖いですね。
中国に原発は在るはずだと思い、やはり、、福建省 江南省 何省 と、黄海側にあり、島にも在る。

内陸部は、洪水対策が弱いので稼動に至らずとか。

そしてその技術力に、事故がと、危険な結果を危惧され、

日本への影響は黄砂と共に、


大きい事になろう
と。


四川地震で原発は無い物の、世界の原発はやはり、核処理場は、それ以上に、

絶対の安全は 無い、何というまずい事を人類は始めてしまったか、いつ滅亡してもおかしくない、なんとか、

全世界は協力して後戻りしなくてはならない、それが前進になってくる。





震度4

2013年4月22日 学校・勉強
先ほどの震度4で、レストランのプロパンガスがマイコンで停止し、

夕飯時の満席は、解消して、帰っていただいたとのことでした。


店長は、こうこうじだいに、夏休みを二ヶ月にして、自転車旅行北海道一周をしたという
ことであり、 教育問題を、荒れた現場の学校教師の現今が気の毒と言った。
もっと自由を、文部科学省、として、次郎は立ち話を打ち切って帰路についた。

強度は、合板 と言うのか、テクニカル何々 によって、均質な物が、耐火も備え、

構造計算できる素材となり、


建築 構造的に耐震出来る。ヨーロッパも木造の取り組みが出ていた。

国内山林の荒廃に対処する、開発、


白アリ対策、湿度は大事な問題、雇用活力、


山形市の企業、公共施設を多く手がけた。震災損傷がなかった工法が注目。


金具に鍵がある。木の痛みを最小限に。ホゾがない。低廉化にもなった。


熟練大工でなくて良い。地域の材料と雇用。

NHKtv クロズアップ

鉄やコンクリートに代わる様々のインフラに対応出来る。


モッカ都市構想 地域の山林資源は今だ。


ビジネスモデル登場。 コーディネータは、教育の必要。設計、

等の連携を。国内木材で持続可能性が出る。植林必要。伐採の時。

戦後の木です。利用するチャンス。サイクル指導のチャンスです。安藤直人とともに。









除染作業

灰塚作戦。

禿山作戦。

原発事故は、安価な設計と、安全勧告の無視。

参考
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/35536


歴史に学ぶ。秀吉の朝鮮出兵製鉄の時に禿山にした分が福島県よりも広いとしている、植林すれば良い。

すべて斬っても自衛隊がある、自衛隊二倍論は言われてないけど。

四号機のプールの排気が独立していなかった。安全設計は複線化。

気が遠くなるような除染作業」

自衛隊の出動を提案している。

僕は自衛隊を二倍に増やすべきだと。

軍事は必要無い災害救助 災害復興。

三倍でも何でも、失業率。



曖昧さの中で戸惑いながら」

武田邦彦氏の本も同じ本棚にあったが、放射能の影響は20年しないとわからない
としている。

そこに人がいるならば、支援する公的な或いは私的な立場もある。放射能は測定と除染、居場所の移動と除染と移住、旅もあり、影響がはっきりしないまでも、

心理的影響は放射能おばけは良くない。

危機を指摘するあまりに、政府は買い取るべきだった野菜を見殺しにした、

買い取るべきだ、宗久氏は書いている。




伊達政宗は、米沢で生まれ育って、25歳で会津芦名をやぶり、黒川城に入った。神明通りの寺に一時居たのは、蒲生氏郷の話だったか、墓が在る。こまかいことはさておいて、

伊達氏は、伊達郡に居たものが、米沢に行き、それはどうなってるかしらんですが、
北の山形城に、叔父の最上義光が居た。


会津若松で、太閤秀吉に呼び出されたが行かず、この間、母の義姫によって毒殺されようとしたが、弟の小次郎を代わりに斬ったという話になっている。

また、仙台時代に、拉致された父をもろとも、犯人を鉄砲で撃ち取ったのである。よく、大河ドラマでありました。

其のように、父と弟を粗末にしたが、母は大事にしたことでいちおう、仙台の繁栄は、もたらされた。母と再開したのは30年ぶりになっている。

1611年、九月 会津で蒲生秀行が慶長地震に会い、12月 仙台に

大津波が襲った。翌年、バチカンに使節を派遣した。

秀行を継いだ忠郷は、家康の孫、中央通りの高巖寺、ながら

伊予松山に転封、そこで亡くなる。上山から弟の定知が松山に。

となっているか、初学のためこの程度で。

何が大事なのであろうか。

進軍

2013年4月17日 国土交通
遠慮なく申さば、高杉晋作 かく戦えり とか、

第二次長州征伐の進展は、詳しく知るのはちょっと10分では頭に入らない、

戊辰の 宇都宮

日光


白河口

二本松の玉砕


以下、会津ほか越後 と、長岡と容易ではないわけである。


それでもちょっとずつ見ておく事は、あるていど、古戦場ということになろうか、

正直、日本中を戦場にした長州以下、日本人の根底から汚してしまった、

その後の戦渦を含めて、甚だやりきれない、。

保科正之

2013年4月16日 グルメ
猪苗代大字更科
という地名が、面白い。蕎麦好きで 江戸で更級蕎屋を流行らせたとされる。
更科も昔からあった漢字。保科の方に寄ったとしても良い。
千葉県の更科町は、更科蕎の縁だという。ほかにも更科という地名は無い?

信州更級村が蕎麦の名の発祥。更級物語。内容豊富な参考に
http://deepazabu.blogspot.jp/2013/01/blog-post_26.html

民政局

2013年4月16日 あいず
民政局は 若松県に引き継がれるが、それは、明治二年となっている。?


廃藩置県とは明治四年であろう、

庄内藩を会津に入れたかったが、住民運動により酒田氏は、庄内から動かないのは江戸時代に、転封阻止が成功した伝統が有るのか、
取り合えず、庄内藩は来ず、全国に先駆けて県になったのであろうか?


ja.wikipedia.org/wiki/若松県 - キャッシュ - 類似ページ
若松県(わかまつけん)は、1869年(明治2年)に旧会津藩領であった岩代国西部および 越後国の一部を管轄するために明治政府によって設置された県。現在の福島県会津と 新潟県東蒲原郡の一部を管轄した。また、和泉国南郡に飛地領があった。
‎概要 - ‎沿革 - ‎管轄地域 - ‎歴代知事


市内の学校給食センター9ヶ所が全て復興し、いわき市の学校給食はすべて復旧した。


秀吉を襲った大地震 という本も有ることが今見えましたが、同じ著者かもしれんですが、天正何年、天正地震が、

それから、15 年後、慶長の会津地震が1611年に、9月、それから三ヶ月後、


有名な伊達政宗の仙台津波地震が起きたんですね。会津で、蒲生秀行に、

あんたが悪い、と言って、三陸を測量しながら船であるっていたときに、津波に襲われた南蛮宣教師が在った。


蒲生は、再蒲生時代と言って、宇都宮から帰って来たのが関ヶ原の戦後であった、

震災後、姫の寺社復興もあり、経済が破綻し、相続もなんかあったらしいすね、

加藤嘉明 入会した。


四国松山、愛媛ですが、会津町は、昔から在ったんですが、特に地震とは関係ないけど、津波も関係内ですね。


そこで、会津地震から、何年かで、安曇川から、琵琶湖に掛けての若狭何何地震が起きた。



貞観地震のほうは、元慶の関東大震災、仁和の西日本大震災へと9年起きに

進んで行くわけでしょうか。

編年体に、面白くも何ともない話の本です。あとは詳しく一つ一つ検討する地域の歴史が有るわけです。


東海道旅日記

2013年4月15日 旅行
会津武士 歴史春秋社は、 山本覚馬を同志社大学出身の方が書き、丹羽五郎を福島市の高橋さんが書いていますが、

明治政府とは一線を画した側で、事業を起こして行った二人です。

ここで、ぼくがしらべていたことは、つまらんことです、確かに、

会津若松から滝沢峠を大砲を引っ張って越えて行った上洛の会津、

がでていますが、いろいろ参考書を見ても、江戸藩邸から、東海道を行った、文久二年の12月、

この東海道の半月の行軍が、でて来ません。中山道とも無論出ませんが。

三条大橋を渡ることか、入京するばかりで、東海道の三文字がどうして出ないのか、そこまでわかっていなかったんでしょうか、執筆時に。

確信がないので書けなかったとは考えられますが、真に残念、またもっと、本を探して見ます。

災害省

2013年4月14日 お仕事
今 松本健一さんの講演録を読んでいると、震災後一週間、復興院を作るべきだ、と政治家に言ったが、法律の専門家を選び、法案を作り、議会で通す、という流れでようやく一年後に、なにができましたか、復興庁でしたかね、


そういうことで、政党政治はダメだ、というお話です。


あとどういう話の流れかというと、多分、斗南藩後の広澤安任の広沢牧場は、

と、なってるので、個人で事業を起こしたほうが手っ取り早いというのではないかと、

佐川淳太郎時致は思ったじゃ考えなかった、。

普段に復興省が無かったんだね。

相馬市の程田地区で、市営住宅完成 (
昨夜のtvでニューズ.

相馬市のホームページを見るとその他にも住宅等の建設がある。


tvで、仮設から移る人が喜びの声を表明していた。

pdf
http://www.city.soma.fukushima.jp/0311_jishin/kawara/pdf/...

穏やかな午後の物語 或るアニメを


ここでふと思い出した、次郎は、tvで欧州のアニメーションを視たのである。なぜか、風が吹いて来る、小高い丘の老夫婦の家の庭のベンチに二人は腰を下ろして、町を見下ろしていた。 向こうで火柱が上がったのだろうか、風が強く、枝葉を吹き飛ばし、老夫婦のの顔に当たり二人は目を瞑った。平和の国の終焉。 短い十分間のドラマが切なく脳裏に浮かんだのである。

沈殿法 は、浄化の一歩
東京電力のゲンロドウカイは、どこにあるかと探したところ、以下に電話番号があります。

http://www.tepco.co.jp/echo/index-j.html

増え続ける汚染水、タンクが増設されるものの先行きは、処理能力で追いつかず、日本中がタンクだらけになるのかということですが


満タンで放置すると、何日かで、放射能物質は沈殿するであろう、種類もあり、詳細な分析は実験すれば分かり、測定で結果は出る。


上澄み液は、流せる、取り出せるはずであろう、という期待が持てます。

これは、自然界で、ダムにおいてCe が、底の泥に落ちる、上の水はきれいだったというNHKtv での報告と方法論提供 にヒントが得られたものです、思い出したものです。

僕は、事情により声が悪いので、代わりにお伝えいただければ幸いです。

長州征伐においても、内乱に乗じて異国の侵略を許す惧れ在りとして、戦を避け洋と言っていたものの、遂には倒幕と言うことで薩長連合派、東征に踏み切り奥羽越戦争に踏み込む危険を冒したわじぇである。非常に危ない長期戦なる可能性はあった、奥羽越も、新兵器を買い込んでいたのであり、間に合っていれば大変な撃ち合いになったろう。榎本艦隊も、箱館沖で暴風で沈まない。
なぜ、無謀な東征を始めてしまったのか。欧米五ヶ国の協定で中立で見守るとしたようだが、

何時そうなったか、どっちに応援し、どう裏で密貿易をしていたか、エゲレスについては、

グラバーを野放しにし、寧ろ連携していたのだが、薩長有利とみてあと押しした。

しかし展開に長期戦となって、各国の協定が崩れ去る、侵略の好機が将来、招来していたはずである。とすれば、薩長の暴挙がこの国を占領させて仕舞ったとしてもおかしくはなかった。すなわち、植民地となり、別の近代史が、さもなければ、会津が天下を支配していたとも限らない。

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