寒いから駄目 暑くて駄目 その他で行けない と言っって、何もできずにいた。

その上、物忌みがあり、ますます動けなかった。


逆に、無知な関東労務層即ち東国部師団が成長してくるのだった。


ほんまかいな。
今頃東京に引っ越しても、有り難みが、残り少ない。

もう脱出している。



スカイツリーが3.11にゆれず、東京タワーが傾いた差が、


心柱で共振を防いだ。



地盤を読み解くことで、100通りの地震にたいおうしてある。



心柱が、建物と別に振れると、揺れを打ち消せる。


参考nhkTV
これは古代五重塔、法隆寺の建築から採用された手法であろう。




来たるべきw首都圏震災に我が家が倒壊する事がないような補強対策は、平屋であるから、簡単であるから煮は、


建築家を読んで話し合うという事になろう。


脱出派、ばいきゃくであろう。

昔日

2012年1月16日 エッセイ
60年史blog

前原がんばれ(前畑:ベルリン 戦前) ― 2005/09/17 22:03

戦後60年 第二次小泉選挙が、国民投票をクローズアップ現代下。

 退廃した(大敗)民社党は、この日3っかごか、いや、もうかれこれ6日目だ。
 党首選挙で、前原政治を選出した。

 前原一誠 沖田総司 を思い起こす良い名前だ。

 名前は良い。

 国会質疑の録画が流された。

 知らない。

 直接民主主義前夜、歴史は、地面vs民社連合野党

 の 戦う政治が闘う。

  ではでは、2005、今生のお別れでごんす、手塚治。

 まだ、来る過去ないかの東京震災、わしもこのへんで、

 武蔵野に出発するhp家内。(ほかない)
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地震大国改め耐国 ― 2005/08/16 18:39

1978:明治110年に宮城県沖地震があり、
それから、27年後、前回よりは小さい被害の地震が来た。

 三陸沖地震とは、30年周期なのか?

茨城沖で、たびたび地震あり、

 また、福島県沖でも地震があるが小規模だ。

東京でも、たびたび小さい地震はあったと思うが、

 震源はともかく、まれに来る地震は大きく、

 たびたびは、エネルギーを小出しに解消していることになるのだろう。

関東大震災

新潟地震

阪神大震災

 日本沈没”は、妄想(SF)だろう。
 しかし、とんでもない地殻変動(地震)の恐怖が

  自身にもある。日本の広域が一気に崩壊するとか。
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After 23 ― 2005/08/15 19:15

1968:明治100年

 全共闘”による大学紛争”とはなにか。

滅びるね:三四郎(漱石)中の言葉。:読売8.15
     
 (編集手帳」「天声人語」にはタイトルがない。)

己、虚にして大言壮語するなかれ

 :漱石の手記:同上


メキシコ五輪

ノーベル文学賞日本初

昭和43
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1975年からの30年史 ― 2005/08/15 00:03

戦後60年:2005年
戦後30年:1975年

 5.20:沖縄自動車道が開通 (昭和家庭史年表)

 昭和50年

 任意に、ピックアップしたまでであるが、
 沖縄に高速道路あり、しかし乗ってはいない。

平和の旅はすばらしい。新世代人の海外旅行は

  多くなったようだ。つまるところ、旅行代理店などによる
  旅行の整備(サーヴィス)が発達し来たったのであろう。

 卑小、私の、不肖なる出不精は、金欠病に似て。
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警察の車に乗ったら タバコの臭いが染み込んでいた。

 おもえたちをたいほしてしらべるぞお
 島崎藤村は馬籠で、本家が隣の妻籠

 その間に、大妻籠は、仮宿

 中仙道は上洛に向かい、江戸と関西と

 どっちに意識があったのか。


 やがてきたる維新の風に父青山半蔵は翻弄される。
振り返ればひたすらに

 不運の集積があり、

 原爆は落ちるは、

 一身上の都合だけではない悲劇はあった。

 にもかかわらず、

 己が巡り合わせの不幸とは、何処より着たりしモノ化
クリスマス九千とは、あと7千年の未来に何かが起きる、

 黙示録は遠いぞ、酒器に変えるのか侠気になるのか、

一時戦闘を止めるとは披露の政だろう、

 少し譲り合い、助け合えばよいものを、

そこまでしては、元も子もない第二次世界大戦の映像が贈られた。
接続スイッチ
サイト接続中に画面が暴走するのは、履歴やPC内を読み取ろうとするのか知らないが、上のURL履歴のどこかブラウザのまずいところに接続が入ってしまったのか、あるいは、フリーズになる場合も合った。

 万一のこのようなときは、まず、接続を切ることに対処の一歩がある。

切断には、機械的な方法が、確実でありまた速く、それしかできないことになることもあるが、

 ケーブルを抜く

 無線の場合は、PCにスイッチがあるはずです。

 機械的な接続スイッチが無いと、問題であり、あるのが普通であると思いますね。このスイッチが普段に使えるわけです。

 蝉の止まるのに、網戸は便利なので、窓を開けて汚れかと思って軽くはじいたら飛んでいったので、蝉だった。

 都市部で蝉が増えてる傾向は、報告され、温度によるのかどうか。温暖化?

 木下に幼虫時代があり、天敵が暑さで減るのか?木下十年である。

 

 

 

 

溝口一刀流
会津剣法 代々 溝口家が師範だったのであろう。

 現 継承者は 長沼さんであるとのNHK 会津番組。

 長沼さんの師が 最期の会津武士 だったと言う。

 気合・声を出さない剣だという。それは、実戦的に思われる。

 さて、グッズとしては、皐月人形 :武者人形の腰に挿してある長剣が

 鞘から抜けるという細かいものだった。

 それは、家にあった人形ではそこまで高度ではなく、

 料亭の人形が高価だったのだろう。

 その刀を密かに実験していた。店の人には知られないように

  試していたのであった。

 そういう、日本刀型のペーパーナイフ 7cmぐらいだろうか、

 それは長短いろいろ出来るが、精巧なまたシンプルなものが出来るであろう。

 鞘が付いているところが良い。

 折りたたみジャックナイフを失った。

 野外ツール、登山ナイフ、いろいろ、ナイフは打っていることだろうが、

 日本刀のように鍛えたペーパーナイフはちょっとありえない細かさになるか、

 小刀から手裏剣ぐらいまで小さいものがあったわけの、時代物。

 しかし物騒なので、ペーパーナイフは、ぬ者人形から借りてくるだけでよいのかもしれない。

 あまり使う必要も無く、はさみで開封と言うところかと思う。

 

私の認知は狭い経験地の中に当てはめようとする。

 誰かが歩いてくれば、あいつかsと思う。

ところが、世の中はいろいろ居る。

この町のすべr手を知っては居ない。

 もうすぐ6の5並べだ。
長年虐げられた国民よ

 灰皿大丈夫?といい続けた非国民よ

悪の組織から金を受け取っていた非国民よ

 お国のために他ぼこを作り売り続けている。

白い正清浄なる巻紙なる剥き身の悪の茶色よ。

洞察

2006年8月7日 エッセイ
灰皿大丈夫ですか がこの国に交通事故を引き起こしてきた。

 禁煙化をいらだたせた。

 喫煙蚊を甘えさせ油断させた。

 タバコを吸いながら運転した。

 タバコに火をつけてぶつかった。

なぜだ

2006年7月8日 エッセイ
北海道はアイヌ地名が多い。

USAは、インディアン地名が多い。

 このことに関係する要素はあるか。

ある。

ない。

回顧談など

2006年6月30日 エッセイ
暇ができた分、お散歩をしてしまい

 次にママチャリ購入をしてしまい、

整理整頓のほうは後回しになっていru。

 日本の将来を危ぶみ東条英機暗殺

の発想があったようda:ぶっす殴打。

 
どうも帝国陸軍はむやみと無意味に

 兵隊を殴っていたようなのです。

これはひょっとして、学校もそうだったのかと

 家庭もそうだったのかと、

日本殴る文化だったのかと思うわけです。

2006年5月14日 エッセイ
  

勉強暇無し。

学校閑無し。

新聞を広げる隙 無し、

 :両手に持って大きい本。

データ保存隙無し。

当事者主権

2004年12月29日 エッセイ
ISBN:4004308607 新書 上野 千鶴子 岩波書店 2003/10/22 ¥735

 あ、霊の、上野 でした。
 上野駅。東北本線ですね。

 共著とか。

 12.28のNHKTVの障害者福祉の番組で、「当事者主権」
 を学び、大いに敷衍できる思想だ。

 東北 は、奥羽の人間が選び取った呼称であるかないか。
 どちらかといえば、どうみても、都から見た東北の方
  方角上、丑寅、鬼門に当たっていたわけである。

近世の奥羽から近代の東北になるについては、
 誰が東北と言い出し、どのように増殖し定着したのかと言う問題がある。

 これについては、東北諸藩鎮撫見込書
 なる物が、大久保利通の署名で、大蔵省の文庫に残っていたとかの
  情報は、このごろ、余は忘れておる。

では、「東北日記」吉田松陰は、どうなんですか、
 と問われれば、東国と北陸をあわせ、東北への
 旅としていることは、冒頭を読めば明白である。

さて、東北本線は、早速明治初期のといっても、多分
 18年かなあ、郡山市を北へ越えたかどうか。
明治40年が、東北帝国大学であろう。

 野口英世が東京へ出て行ったときは、
奥州街道を歩いたか、日光街道を歩いたか、
 東北本線に乗れたのかである。
 故郷に錦を飾った、アメリカ帰りのときは、
 磐越線翁島駅に降り立った。
 大久保利通は、舟運を拡張しようとして、
 鉄道清作に、転換したのである。

 では、ともかく、郡山まで、猪苗代から中山峠を
越える。逆に郡山から猪苗代へ中山峠を越えなければならない。
 現在は、鉄道も道路もトンネルである。
  スイッチバックがあったが無くなった。
 会津の風力発電は、猪苗代町にあり、
  この中山峠道路トンネルの入り口の融雪ROAD-HEATER
 に、電力を集中する。他に、会津はまだないんじゃないかなあ。
 夏季は、東北電力?に売っている。250万円とか。
 たった1基の風力の柱である。
  余もそのうちに見てみたいと思うよ。
 
 余:松平容保霊の偽者

 東北が東北を越える名称を見出せないのである。
 では、皆さん、良い男を見つけなさいよ。

 来年は、酉年なので、鬼渡=ニワトリ説が盛り上がるでしょう。
 ニワトリ研究に余念が無い。卵だ。
 ニワトリが啼くと、夜が開け、鬼は逃げていったと言う。  

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