これからの西郷四郎

2002年11月8日
西郷四郎論
 ¥1 牧野登氏の評伝 (島津書房
以下のページに引用が見られます。
    http://www.daitouryu.com/japanese/col_kumonosu1.html
  近代青年(士族の終焉)の彷徨
   加納治五郎の西欧主義
   西郷頼母の儒教主義 に反発
   鈴木天眼の大アジア思想 に
    己を糊塗し
   真実の完全燃焼に至らず未完
    永遠の未完のまま完成を求めて
 去っていった。 立派なものだったと
  私は思いますが、辛口のひとですからな、牧野氏は。
¥2 西郷四郎アルバム (会津武家屋敷編歴史春秋社発行
  夏目漱石における西郷四郎の関心
   直接の言及は実証されていないが充分
    状況証拠がある。
   (三四郎 から富田常雄が姿三四郎 を命名したと
     私は考えている。)
* 西郷四郎研究会 津川町にある。(2)
* 不思議なことに、長崎市から近い天草に西郷家の
    発祥があった。西郷隆盛が南州、
       四郎は北州を号した。(1)    
* 津川少年 エゲレスシコメ、イザベラ・バードを野次る。
* 思案橋でヤクザ5人を叩き込む。(1)
* 仙台1年 二高で柔道師範。(2)
* 久留米で不良外人を投げ飛ばす。(2)
* 長崎水練班をオリンピックに導く。(1)
* 弓道 棒術 を指導。ナガ酒(1)
<なんといっても、西郷四郎文集 が必要。

<現代青年の彷徨・咆哮・奉公・方向・宝幸
<以下の会津武家屋敷にやまあらしの大技の銅像が
  建った。
http://www.bukeyashiki.com/index.htm

+ 海鳴り

「山嵐」

2002年11月7日
集英社 2000年発行 今野敏 著 
 西郷四郎史伝小説
  講道館以後の姿三四郎もおもしろかったのである。
西郷四郎よりも強かった武田惣角が西郷頼母の
 後継者として大東流柔術を引き継ぐのであるが、
  大東流とは、アジアを意識した四郎の命名である
   という、作者の創見がある。まさに
    ここに、四郎の主題が凝縮されている。
<カラテ道場を運営しながら、小説家のベテランとなっている氏のホームページ
は、http://www.age.ne.jp/x/b-konno/index.htm  イルカが跳ねてますな
ところで、年譜的になかなかよく把握されたらしい小説であり、
 津川町に帰ったのは、そして道場を開いたというのは、
  朝鮮に渡る前の合間のことであり
 25歳講道館を去ったのは、あくまで長崎の鈴木天眼派を目指して行った。
    (天眼は、会津人日下義雄長崎県令とともに長崎に来たとされる。)
   大陸活動家だ。二本松の出身である。
    かくあって会津人の知友井深彦三郎が長崎にいて講道館の
     四郎を呼び込んだかたちだ。会津人佐瀬熊鉄もいた。
ここから30年が基本的に長崎である。大陸にどのくらい
行ったか、30年は謎があろう。
武道の境地・極意の展開が並行する。講道館の西郷の続きで武道指導・私闘。
 氏の1997年の合気道小説「惣角流浪」にも、西郷父子が登場するはずであり、
 あわせ読むべきらしい。惣角も会津である。(知らなかった。)
史伝としてあらけずりである。嘘も書けないし(資料もないのだろうし)。
(また、歴史作家をしてるのではなく、武道のいき方が基調。)
辛亥革命の前に台湾も行っている。
辛亥革命(東洋日の出新聞が孫文を支援、となっている)では
50日間の報道記事活動で戦火をくぐった。
 孫文自身は登場しない。その辺の史実
  は定かでないのだろう。
晩年広島の尾道にリュウマチの治療に(なぜ?)
 来て二年目に死ぬ、56歳。尾道市では、柔道着姿で立つ銅像も建ち
  命日の12.23に柔道大会
が開催されているようです。(以上間違ってたらごめんなさい。)

+ 異途の出発

長崎紀行

2002年11月6日
 長崎から宇都宮大電気科に行った相浦君、その後いかがお過ごしですか。
東京寄席散歩 という優れたサイトhttp://www.edo.net/edo/tasuke/bun/219.html
によると
東洋日の出新聞社の跡地は喫茶店になっている。
{長崎の中心地「浜ん町アーケード」に程近い、油屋町に「ツル茶ん」という喫茶レストランがある。変な名前だが、九州では最古の喫茶店として知られる老舗で、かつてこの土地にあった新聞社には、孫文や西郷四郎(姿三四郎のモデルだ)も出入りしていたという長崎名所でもあるのだ。}ということです。
<筆者は 読売新聞社のベテラン、永井好弘氏であることはまちがいないです。サイトにも書いてあります。付して明記いたします。
 新宿末広亭 春夏秋冬「定点観測」 (2000年)
 ゲーム千一夜 クロスオーバーエンターテインメントコラム (1999年)
 の2著が見えます。


+ 青柳教諭を送る

明治の反骨

2002年11月5日
博多が玄関港であったが、近世いわゆる鎖国
において港ナガサケが文化的にも発達して行ったのである。明治の長崎はその後を受けて、東洋日の出新聞も立った、一方、福岡の玄洋社という力が長期働いた。ということで、博多へ。
福岡シティ銀行のサイトはすばらしい。(以下)
http://www.fcb.co.jp/bunka/hakata/sonbun/1.htm


+ 秋と負債

それからの西郷四郎

2002年11月4日
宮崎東天 鈴木点眼
高橋大家 石井剣道


+ 土性調査慰労宴

一新講

2002年11月3日
 昨日午後、著者が自著を語る講演を拝聴。
 その本の紹介が以下のサイト
  http://members.aol.com/Akoline/meijinotabi.htm

 ええい、一新講の解説も!
http://www.library.pref.osaka.jp/nakato/shotenji/43_kou.html


<長崎市長北原と長崎記者西郷四郎は会津だがなにか??
+ 永訣の朝

<It comes to Japan from JAPAN. ??

<Ora Orade Shitori egumo  (なぞ


<preconceived idea (pre

<そばの日 晦日そば :月末
  http://www.osoba.co.jp/sobagoyomi/


recover from kaze

はまなすの浜辺にて

2002年11月1日
おお、これがCOMPUTERのワープロソフトか。
はじめまして、ワードパッドさん。
こっちのほうが書きやすかったんだな、こりゃ。

<田中耕一さんの本格コメントが出ました。
   大いに語ってないけどちょっと語ったといえよう。
    1.日本の会社では、失敗すると首が飛ぶが
      アメリカでは+を評価しマイナスには目をつぶる。
     2.東北大電気工学科から大学院を目指さず
        実学を求め入社。ひとつには、
         ドイツ語がやりたくなかった。
        苦労せず名誉博士号がもらえてうれしい。

<ドナルド・キーン氏80歳文化勲章

<勲章論」もありますが、日本文学氏

<どのTEAMを選ぶか、これで調子もちがってしまう。
   さっさと好きなほうに行く。 

<”なになに” というコーテーション・マークの前のそれを
   ひっくり返すことは、いつか来るのでしょう。
    いつまでもタイプライター時代の名残ではっはは。

+ オホーツク挽歌
    挽歌:妹の死

から添付

2002年10月31日
月一で大検高校新聞なるものを発行しているが、SITEに掲載しない。
 これまでプーさんメール(ODNのソフト)でうまくいっていたが、プーさん2をインsトールしたためにMAILがすべて行かなくなったのだった。??(これは、SSLにチェックを入れて解決。)
 発行できなくなったので別のPCで発行したが、メールソフトに慣れていないので添付が付いてしまったのであった。
 ところがまた、添付の見方も良くわからないので、かなりのFILEが出たと思ったが、実は空だった。
 失敗を報告しお詫びしたら、添付は来なかった、安心せよ
との返信をいただき、研究しなおした次第。
候文 とはいつからあるのかというと、鎌倉時代から始まり、近世では公用語として普及した。と、サイトでいま教えられた。古文書ですが、話し言葉ではないでしょう。舞台上の言葉、丁寧な言葉、よく知らない。
ところで、そうらへども と
     そうろうとも は大いに
 似て非なるものでしょう。
候共 と書いてあればどっちに読むかわからず
 前後関係でわかる。
候へ共 が別に出ていれば 候共 は
  そうろうとも でしょう。
そんなこんなの 道は遠いなあ。

とりあえず言える事は 古文書も国語学であり、必ずしも歴史件でなややいんだなー。それが、僕の姿勢です。歴史もおまけだ。
 文章・文字・書式に畏敬の念を払わずに関係歴史解説をコピーしてきても本当でないんだよ、。文書はおもしろい、之で活動している古文書読み。
古文書サークル人も嗜好性・志向性が皆違います。なかには、政治をやって学問になってないのも居ます。ああ、僕は、やるんですがね。
 ご指摘いただきましたETVの人間講座10月・11月の月曜日のテキストですが、忘れがちに打ちすぎやっと昨日、2冊仕入れましたところ早速ようやく4回目を拝聴しました。30ぷんですが密度あるものにできてました。
 徳川慶喜は、京都から大阪城に撤退し、やる気だったけどだめだこりゃとなって江戸城にとってかえし、やるきだったんだけどあかんわいと上野山に謹慎し、彰義隊が結集するとやばいなーと水戸の実家へにげこんでしまいました。CHANGE MIND の行程。戦うと負けた時死罪になる。
どんどん偽官軍を呼び込んでしまっている。将軍本人が踏みとどまって戦火を 収めない。政治が出来ない。
 仕掛けられた京都の鳥羽伏見の戦いの責任を松平容保に推し着せて一身の許されることのみを期した。
 よくわからなかった慶喜像がはっきりするとともに戊辰の展開が、見えている。
 慶喜には小生も不満だったのですが、これではっきりわかります。
 
 全体に、実態の把握を提供してくれる、このつかみかたがすばらしい番組としていると思われました。何がPOINTか、ESSENTIAL が見えないと歴史のDYNAMISM が理解できない。
 早乙女貢氏の慧眼透徹を更に学びます。小生の表現力はまだこの程度ですが、ご指摘を感謝。

山の言葉

2002年10月28日
+  小作調査官
   1928年が 稲熱病 の詩。
   1931の今度の作品では 奇形の異常繁殖が林の中までも広がっている。その奇怪の風景を絵画的にとらえている。人々の反応。凶作と評価。

<昨日はコンピュータ側の準備が出来あがらないうちに操作が先走り、データの消失 つまり無効になりました。

<間を置け 「慌てるなということは徹頭徹尾肯がいても可なり」(鴎外 「知恵袋」)

<山が薄い> 土木科の言葉 おとといの安積疎水論のとき質問を逃した。土質がやわらかく、掘りやすいが脆いということか。この件一件しかヒットしなかった。編集 のこのページを検索する を使用して見れる。
http://www.soumu.go.jp/kouchoi/knowledge/nenji/paper/42/s42-2.html
 
(わかった像。多分、単に距離的に短いということでいいのか。トンネルなら最短距離が楽。) 

<山が来る> 崩落

<山が鳴る> 意味不明
 須賀川の人とオランダ人
  混んでるようなので之で終わります。

模擬国会

2002年10月26日
 直接民主主義政党は、理念の達成をもって
  使命を終え消えてしまうべきものである。
 直民党投手として、e-国会 に気づいていましたが、このたび、厳選サイト さんからの搬入もありましたので、気合を入れたいと思います。http://www.e-kokkai.com/
東大名誉教諭とは東大で10年以上教授に在任した称号。ですか。
外国人客員教授とは、国籍が違うと国公立の大学で地位が持てないので特例として出来たのであろう。
田中耕一氏が仙台市民の熱烈歓迎になっているのは、東北大出身である。さらに東北大の客員教授に招聘された。
タレント教授とは、大学の先生がマスコミで活躍して人気が出るのだが、
逆に、松本健一 松岡正剛 安藤忠雄 作家の三田 といった著名なかたがたが大学でも活躍され、大楽しい。

東北大職員組合のホームページで、大学改革の取り組み、入試改善論等も見受けた。
東北大は国内3っつ目の大学博物館建設をすすめているはずだ。東北大はすごいぞ。

大検高校論は、体制としての大学から社会に出るという基本的な枠組みを温存しておけば、高中小はどうでもいいじゃないか、という。
客員教授制度とは、民間の実力を閉鎖社会の大学に投入しようとするものであるが、大学改革の観点から集中(注目)される、
なかで小中高も民間の識者を導入して、
学歴・資格にこだわるのでなく人材はあるということも許容しなければならず、
相互乗り入れもある程度やむをえないでしょう。どんどにゃれい。

日本稲作文化の真髄

2002年10月24日
Rice が無い国と パンの無い国
 どっちがいやかといったら
  後者です。
こどものときからそうだったし
 祖父も米をくわなかった。
  体質でしょうか。
しかし、たまには米もいいです。
 特に、セットされた米、料理された米。
  米をうまくあしらったもの。

  家庭的な米がきらいなんだなあ。
なにいってるか。だめだこりゃ。 

西脇順三郎っておもしろいでしょうか。
http://www.interq.or.jp/mars/ippo/rain1/roku.html
  
(ラフスケッチ)「職始末」の8.18の政変を見たのですが、
 天誅組ということは書かれていました。で、孝明の命令を容保が受けて下知した
   となっています。鎮圧です。なお、平凡社 東洋文庫ですのでご覧くだされば幸いです。 
 おもしろいことに、この東洋文庫版は、現代訳であり、訳者が金子光晴といえば、
 そう、あの詩人ですね。愛知県出身で反戦詩人のこの人物はどうしてこの仕事に
  着手したのでしょう。1964年の出版ですが。
  なお、山川健次郎の小著が数点存在し、いずれも、戦前というより大正のもののようです。
 その後発行されていない隠れた名著であるならば、問題です。
                      山川浩が完成できなかったところを、健次郎が取り組み、最終的に健次郎の筆跡である。山川浩著というよりも編集という形であるが(日誌体)、公文書のうらずけが資料的に出ていないようです。(この段、解説からうかがえること。      
 しかし近年、早稲田大学図書館で発見され出版された資料がありこれがどう絡んでくるかという問題にただ今気づいた次第。この資料は、部分を構成するかもしれないが、全体にはとても及ばないはずです。

便器について考える

2002年10月22日
 トルコ式(和式)の便器が、いわゆる金貨九氏というものが大きく張り出していて、これってないほうがいいのでないかい。というのは、確か立川駅ビル(デパート)で、ウンチをしたところ、金貨駆使が無い便器を採用してあり、おおこれはかえってすっきりして合理的であるわいと思いました。
 (女子トイレも同じでしょう。入ってみたいですが。それはできません。
いや、入りたくないですよ。)
 流すのには、手をかざすだけで作動するセンサーを用意してございます。笑
 ちかごろのデパートなどのトイレは一般にリッチで気分良い設計がされているので、たまに都会に行くとびっくりしております。
 
 洋式は、水が張っているタイプの便器がありますが、あれは爆撃とともにその水が跳ね返るはずであり、納得いきませんでした。
 大部分は流れ口の小孔だけが水溜りになっている洋式便器だと思いますが、洋式を使い出したときソレガシは、はねてしまったのでござる。笑
 それで少し前のほうに腰掛けるようにしたわけです。
 
 高速道路におけるトルコ式で、流れ口が後ろについていて、これはおかしいですです。前に行けませんから直撃になってしまいます。
 ですから、神(PAPER)を丸めて投入れまして・・。上さんには住みませんが。

 一般に世の中、不合理なことは無いわけではないでしょう。いや、教育界もあると思いますよ。笑 (笑ってる場合ですか。)
ですから隙間商品を開発すれば良いということもあり、一方、なぜ変なものが出回ってしまったかと、そういう、経済社会的な観点も是非諸先生のご高配をいただきたく存じます。(といっても、この日記は、先生の定義があいまいですが、タイトルを良くしたいと考えております。)

**************
 私、日本語わかりません。
THANKS for your kindnesses.

 

scintillation counter

2002年10月21日
シンチレイション計数管 :放射能測定

<at this time last year
at this time next year

<Small 地震 have come now,and I’ve got up.

<seismology

<inflammability inflammation influence machine influenza information retrieval

<areal velocity 一定の法則

<enter Tkyot University leave scool graduate school :M.A,M.S.,PH.D.

< It happened many many many years ago that the earth was born.

************************

30 seats only  

he is too hungry to say

2002年10月20日
<Nothing comes wrong to a hungry man.

<hunger-cure

<it is a bookworm

<read at a stretch

<compulsory education

<temporary magnet

<a man of marrow


< 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125

 

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