伝説は加藤菩提の行方不明。
日が差した。雨上がりのスクーターで

 会津風土記に依るカスガイ丁

会津加藤嘉明菩提寺長福寺跡を訪ねたが

  北路地の北側が北頬と書かれたと思われる。

 公民館に入って缶珈琲を出したがメーカー
  を読んで一口飲んで咽っ
た  なかなか出来ない技だ。


  深川廉次郎雪家は高台に立って北頬を見たが

  嘗て同じく見下ろした時には売り地であり
草むらだったと思い出した。
すっかり住宅が立ち並び、
 昔から史跡ではなかったのである、

 推論は 長福寺跡が 何寺になって

  何寺が南青木に引っ越した時点で

一切 形が付けられたのであろう。

 おそらくは 現在の何寺に 加藤家菩提は

存在するのだよ。

  保科正之が

入封し

加藤明成が石見に去ったため

 全く鶴ヶ城域だった長福寺 次に何寺が

  廃寺となった事はむべなるかな。

 加藤嘉明の兜の仏像が 会津松平家に
保存され戊辰戦争っ中 或る寺に安置された。

 加藤菩提が何寺に委託っされた

との文献は聞こえていない。

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