第六章
おかしなことができた。以前から一体の仏像があった のである。
かねて承知の病院の解体が始まった。通りを走っていく と、内部の諸々が玄関前に運び出されて工事の人が 働いていたいた。 夏日 病院へ歩った。 親が死んだ病院の旧病棟が閉鎖されていたがまだ、解体 に至らず、内部の整理がついた状況と思われる。 目に見えない放射能がこの街に降ってから二年半、 その後も微妙に飛んできてるか、雨に降りていたはず だ。 河川は未だしも地下水においては汚染の進展が把握出来 ない。 次郎はクレーンのロープに足場を取り付けている作業を 見た。 そうしてみると、旧棟の壁には足場が組まれつつあっ た。 この先の解体へ向けて窓ガラスを外すことが予想でき る。
ビル爆破の手法ではない。
まだまだ、夏超えて秋冬、来年に更地ができるかと思え た。
次郎の倉庫の向かいの方で一軒更地になっていた。震災 他の原因で 引っ越すことにしたと言う。長年の不毛の次郎の直接的 な敗北がその物件であった。
そこに、Serrow225ccが、入っている、それだけが一 つの魂として先を魔座しているのだった。 そこから病院はやや近い。今となっては、無価値に等 しい、放射の蓄積は続くであろうと、予想された。 フリーメースン バラ十字団 日本医師会等の秘密結社の 方法論がSNSに、期待されいたと気がついた。 邪馬台国の決着が 御所市玉手山にある。曲学の徒さんが 救いをもたらした。 スサノオさんの研究者が現れた。 出雲にダビデの紋章が出るが建築家が考えられる。 次郎は立川断層の上に暮らし始めていた。
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