京都が攘夷の体質である、故に朝廷が攘夷の体質である、

よって、長州が、攘夷思想になってしまい、


けっきょく、京都がわるい。


という事になる。

蛤で京都が焼けたのは、長州が悪いが元は京都がそうさせたわけであす。

それを救えなかった会津派京都主語色失格です、其れは仕方ないです。

長州が悪いが元は境地がわるい。

そのような145年前の出来技値が、今日の不幸をもたらしている。

コメント

@home
2013年3月26日19:30

佐久間象山の 我が策に道あり、が、長州による暗殺で、京都の平和が暗転して行った訳です。

長州の巻き返しが蛤ですが、あっちに再度帰ったのですが、これからどうなるのでしょうかね、笑
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@home
2013年3月27日2:41

5千年前にアイスマンがtvで殺害されたように、人殺しは残念ながら続いて来た。蛤御門である。山本覚馬が長州の銃弾をカワシてから、射撃は、馬上の指揮官を打ち落とし、
命中! とみずから叫んだ。 新選組!では、井上源三郎が、鳥羽伏見の戦いで、銃弾を真剣で受け止めるという、北辰一刀流の真髄を披露したのですが、テーマ画西部劇になって来た。

薩摩の西郷も馬に乗って指揮していたが、あのあと、脚に流れ弾が当たったとか、不確かな情報である。悠長な会話が気になった戦場の援軍登場の一時だった。

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