二年間の総括

2013年3月11日 乗り物
二年間あっと言う間に過ぎたのであろう。
親が死んでから一年と百日したところで、親の誕生日に午後2時46分震災が始まった。

親が生まれた時刻は把握していない。

また、親の親が、いつ死んだのか、知らない事に気づいている。

親が死んでからふらふらになって、震災で更に条件が悪くなり、数ヶ月の揺れは大きく頻発、繰り返した。

単車に乗って東京に向かったその夏日曜日晴天暑気、軽装と背中に背負ったリュック、

国道新4号の小山のアメリカンバイクショップを通った先だったらしい、赤い

クーペらしき四輪が先に居ることに驚いて人生初の大転倒を起こして負傷した。

余裕があり過ぎて右の方を脇見していたあとだった。渋滞があったのか、罠にはめられたのか、

福島ナンバーが放射能の事故で差別されていた。

その後、武蔵野三多摩地区に復帰し、親と雪が無い所で暮らすべきだったと思った。

親が慣れた会津に過ごした間、東京に震災は無く、かえって今日震災が危惧されるに至った。


会津に来ていた石巻の行商、仙台の親戚がどうしているか、未だ電話もしていないが、

福島県内のニワタリ系神社も訪問できないままに被災してしまった所が多い。


NHKtvや地元会津で、風化を戒める試みがある。それは、普通に暮らせている家では震災の事は
気にならなくなったかもしれないが、原発は終息への取り組みでてんやわんやであり、

仮設住宅は未だ続き、加須市移住の双葉町15万人、会津若松移住の大熊町民ほか、自主避難、

風化ではなく渦中の人々であり、進まない復興が、風化と呼ばれるのであろう。

風評被害と風化は同じ穴の狢という感じに思える。

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