會津木綿

2013年3月9日 あいず


山本八重は、鉄砲で戦いたいとして娘子軍で出陣せず、かえってその以前から、男子軍に混じって出撃、斬り込み隊をしていた。

ドラマの山本八重が会津木綿を着ていたという証言をいただいております。と言うのは、市販されている生地が採用されていることは映像で判ります。では現代の会津木綿とは、なにか、模様即ち柄が、特徴になっているのでしょうか、えどじだいに、会津で、型紙が豊富に有り、つまり染色において、一定の物しかできなかったようですね。規格に無い、許可されない模様は着物になることがありません。誰が、校閲したか、藩の役人が在ったのでしょう。
これら型紙の資料が明治以降になって京都の方に持って行かれたのでした。ひょっとすると、商工会頭 山本覚馬 怪しいですね。山本八重も京都で繊維工場で働いた時期が有ったようですが。

いじょう、どこから物を言ってるのか吾ながら不審ですので信じ無いで下さい。

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