京都守護職の会津は、会津から大砲を運んで行ったのでしょうか?

鉄砲大砲の操練は、本郷川原や小田山山麓で行っていた。

世界の趨勢からは、時代遅れの物であったか、どういう大砲が有ったのか、

企業秘密だったのかどうか、


幕末江戸湾警備で、江川太郎左衛門と言う神奈川県の代官が大砲鋳造と台場の

建設に貢献した。

箱館戦争では、品川台場から大砲を持って行って、備え、

箱館に有った大砲を新潟に移した。


蛤門の戦で、会津は15 cm口径の大砲を撃った事が

京都守護職始末 山川浩著に出ている。それは、林権助大砲奉行

山本覚馬大砲頭取 であり、町野主水が槍を持って突撃した。


その大砲は会津から持って行ったとは限らず、京で開設した洋学所

の活動もある事から、現地調達はありうると思っていますが、

トリビアルな追究もどうぞう どうぞと申し上げる他なく、


大砲の運搬は牛馬が良いらしい、南北戦争で中古の武器が

武器商人グラバー等によって日本に輸出され、パークスは討幕に踏み切っていたのであった、

という重要ラインが引かれている事は、インポータントであろうと~思います。

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