地名 町名 が隠れた例は有るでしょうね。

なるほどですが、東海道が先に北へと、海沿いに鹿島神社、塩釜、多賀城と

大和は、延びて行ったということであろうと思い、勿来の関が先、早いだと思いますが、

一方で北陸道の日本海側は、東海道よりも早く開け、会津はその両方の内陸の要衝として、早くに古墳文化が出来たようですが、

東山道は、あとから多賀城に向かって福島県を縦断して伸びる時に、

白河の関が、国道294のクロスポイントに出来るということが考えて、

最初は、境の明神が会津に向かって関になったのではないか、会津からの関であると、考える必要がありでしょうか。

また、294は、湖南、猪苗代湖西岸ルートではなく、山道だったと思うのは、隠岐神社だったか、いや違うな、なんだったか、か通った時にあったです。ルートの神社あり。湖南は 脇街道で、294に入った、294とは常陸会津道ということで言った訳ですが。

しかし、猪苗代湖がひとつ、会津居平よりも古い文明拠点だったか、

あまり魚はとれなかったとおもいますが、酸性、時代によりますが、

常陸会津猪苗代道も先行するのか、すべては、謎ですというか個人的にも想像の域を出ません。長くなりました。東海道水戸?から会津へが、東山道から会津へと既成のルートをこんにちは国道4から会津へと入っているという感じです。なんとでもいえるのかもしれませんが。

コメント

お気に入り日記の更新

日記内を検索