うーむ めんどうな奥の細道 黒羽は2週間

那須湯本は 殺生石

と、点を把握し、線で結ぶ野はあとから出る。

白河の関は、旗宿 という事になっていたが、俗説で境の明神に行った。

旗宿も訪れ、まいいか、としたようだ。のち、松平定信認定と現代の発掘。定信の発掘調査はどのくらいでしょうか。

コメント

@home
2013年1月12日20:04

夢は枯野を駆け巡る と言うと那須 ではないか、しかし秋ではなかった。

@home
2013年1月12日23:51

白河の関の勉強ににわかになってしまったのですが、松平定信は、白河神社であり境の明神は間違いだと決めつけてしまった訳ですが境の明神といえば古来の道祖神関連でしょうね。

それはそうとして、境の明神が白河の関と伝わるからにはやはりそれなりに、事実だったと考える必要がありでしょうか。

そこで結果的に、同時に数カ所の関が白河の関だったのだ、と言う説が出来、二所ノ関と言うのが境の明神、これは二つの神社、です。一方で

考えようによっては、場所が変わったと見ることはごく自然でしょう。

そういう積極的な学説は、ビエント純平氏にしか聞いておりません。

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