キッド

2012年4月18日 旅行
鬼渡派、ヤマト側が持って来たと、当初のエッセイであったのですがね、しかも徳一と田村麻呂の協力で、地域経営の守り神として拠点に大明神が祀られたという構想です。それは、弥勒信仰の軍勢となって、鬼となって鬼と戦うような切羽詰まった状況でも、或いはそれほどの事はなく融和して行ったかと思うのですが、山人となって奥会津に行ったか、北へ去ったか、エミシが鬼であり、弥勒も鬼だったわけです。
ところが時代は、前方後円墳でわかるように、すでに、ヤマトとの提携が出来ていた、
宮城もそうです。しかし田村麻呂が戦ったのはアテルイであり、岩手ですが、後方に鬼渡派、あるいは、源氏の奥州征伐後の論考交渉のように会津ほかに武将が土地を持ったのですな。論功行賞

どうも、鬼渡派、キッドと読み解くと、子供の神社であり、鬼渡しは、子供の遊びで鬼ごっこ であるという落ちになっています。

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