羽黒修験と会津 というテーマは、羽黒山荒沢の鬼渡大明神

 における善行院の鬼剣舞伝説と会津の鬼渡大明神の関係に
抵触し、会津に羽黒修験が鬼渡大明神をもたらしたと、

 想像されもするのである。

近世会津は、本山派が80%、当山派
が、15%、羽黒派が5% となっているか知らないが、

 徳川家康はどう動いたか。

しかるに、近世以前においては、羽黒修験の勢力は

 100%会津に及んでいたものやら知らないが、

会津にも、バンダイ修験、吾妻修験 があり、

 必ずしも、羽黒修験の鬼渡りとはならず、

 南から北へ行ってもありえない話ではないとも考えていた。

白山修験から、羽黒修験に伝播し、会津には羽黒山から

 峰伝いに着たとも言えようが、奥会津に北陸から来たとは言われてはいない。
  ようですが。

ところで、羽黒山とは何か。大和は、倭は。
 飯豊山とか、山ばかり。

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