会津ちょっといい歴史
2004年12月17日 連載
ISBN:4897572630 単行本 野口 信一 歴史春秋出版 1991/10 ¥1,835
石川瑛作 「富国論」翻訳者
福島県西会津町野沢 出身
なのだそうだ。「会津大事典」には出ない。
東京経済雑誌社 に勤務していた。
そのとき、歴史が動かされた。
遅かれ早かれ、それは起こったに違いない。
いや、わからんね。
日本髷が続いているうちに、逆維新がおきてから、
改めて、洋髪になったかも知れはしない。
ともかく、石川らの婦人洋髪運動は、大ヒットして
島田髷 などが亡くなっていった。
束髪である。
この運動に首謀者として、石川とコンビに出ている者が
渡辺鼎である。当時は、陸軍軍医の職にあり、(属し)
のちは、会津若松で開業する。野口の右手を手術し、
のち、野口清作が書生の時に、血脇が夏季歯科活動で
渡辺の会陽医院を拠点とした。
血脇は、慶應義塾から、事務系で高山歯科に入って後
歯科医師試験に挑み、となったのではないでしょうか。
出自は、木更津 である。加藤家なので、養子に行ったのだろう。
渡辺鼎も西会津野沢出身であることで、石川と連動した。
鼎の父が、傑物であった。渡米帰国して、会津の英学
の先駆になったのかな。詳細は、地元郷土史の一馬君の
話があったが忘れ散った。一馬氏のいまいちの奮起を願うものであります。
(参考 「会津 ちょっといい歴史」フェミニストたちの明治)
石川瑛作 「富国論」翻訳者
福島県西会津町野沢 出身
なのだそうだ。「会津大事典」には出ない。
東京経済雑誌社 に勤務していた。
そのとき、歴史が動かされた。
遅かれ早かれ、それは起こったに違いない。
いや、わからんね。
日本髷が続いているうちに、逆維新がおきてから、
改めて、洋髪になったかも知れはしない。
ともかく、石川らの婦人洋髪運動は、大ヒットして
島田髷 などが亡くなっていった。
束髪である。
この運動に首謀者として、石川とコンビに出ている者が
渡辺鼎である。当時は、陸軍軍医の職にあり、(属し)
のちは、会津若松で開業する。野口の右手を手術し、
のち、野口清作が書生の時に、血脇が夏季歯科活動で
渡辺の会陽医院を拠点とした。
血脇は、慶應義塾から、事務系で高山歯科に入って後
歯科医師試験に挑み、となったのではないでしょうか。
出自は、木更津 である。加藤家なので、養子に行ったのだろう。
渡辺鼎も西会津野沢出身であることで、石川と連動した。
鼎の父が、傑物であった。渡米帰国して、会津の英学
の先駆になったのかな。詳細は、地元郷土史の一馬君の
話があったが忘れ散った。一馬氏のいまいちの奮起を願うものであります。
(参考 「会津 ちょっといい歴史」フェミニストたちの明治)
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