明治の東京区制は、牛込区、本郷区、芝区、などと、
 細かかった。豊島郡などと、区の外に郡があり、
のち(いつ?)豊島区になるのでしょう。

 芝区伊皿子町 は、今、港区。

 血脇守之助? に引き継がれることになる高山歯科医学院
  があったとろが、伊皿子町 (どう読むの)。

 ここで、血脇の紹介で、学僕となった野口清作である。
 血脇は、会津若松の会陽医院を訪ねた時に、野口が書生をしていて
  一目置いた。野口が上京していくことになる。

 血脇と渡辺鼎の縁とは、?
 高山紀齋が、アメリカで歯科医となり、渡辺は医者になり
  血脇もそうなんだろうか。(あとで)

 ともかく、野口の東京ゆかりのところと言えば、伊皿子町であろう。
  次に、順天堂、伝染病研究所を経て、渡米する。

 NHKの朝の番組で、坂道散歩 とする特集の放送があり、
  改めて、文豪の町東京を認識できた。夏目漱石しか
 いなかったのではないことがわかった。(うかつである。)
  そこらを訪ね歩くべきであった。

 高山医学院は、東京歯科大学になり、野口を支援し続けた血脇初代学長
  が、神田小川町、水道橋と拡張して行った。現在の本部は、千葉県市川市。

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