セオリツの軌跡

2004年10月5日
鬼ワタリ神社のご神体を見せてもらった時、
 オシラサマであった、とはならないか、
そういうところもひとつはあるか、
 二つの石ころだった、ともなる可能施性はある。

 大きい方が、男神で、小さい方が女神だ。
 男神は太陽である。
 では、女神は、月か、それは、何も生まない。
 女神は、水神である。

 始原の信仰とは、そのようなものではないか。

 ヤマトがどこから来て、どんな神を戴いていたのかさておいて、
 大和盆地を制圧した時には、熊野国・伊勢国には、太陽と水が祭られ、
 朝夕二度、賽飯 が、捧げられていたのである。

 大倭のヤマト制圧は、(大きくヤマトは延びていく)

  エミシ(日本はエミシだった)の神々を自祭神のもとに、
 系列化することになる。
 その自祭神とは、太陽をアマテラスとして、最高神にしたのである。

 かくして、女神 瀬織津姫 は異端となった。

 イザナギ が黄泉の国から逃げ帰ったときに、筑紫 と思われるところで
  禊をして、神が出生したが、瀬織津が生まれてはいない。
 日本書紀・古事記には、その瀬織津の名は無い。

 では、どこに、瀬織津 は記録されているか。

 そのあとの、ホツマ伝え に出てくることは、ホツマの面目になってくるかもしれない。

 あとは、神社側の資料である。

 大辞典 に、セオリツヒメ は、出る。
  その典拠は、 延喜式 大祓え (平安時代)

   であり、祓い神四神の一柱に位置付けられたものだ。

 政府文書として、唐突な出現である、のか、外部リンクのようだ。
  ともかく、天智 が、大祓え 編集を命じ、天武・持統
   を経て、文武 が完成した。

 セオリツ は、養蚕の神になって、三河に祭られ、そこから、
  桓武天皇が、遠野に二人の指導員を送り込んで広めた。

 (詳論:「エミシの国の女神」菊地展明 著)

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