北の星

2004年6月6日 家族・子育て
会津藩には、「ならぬことはなるぬことです」
 という、厳しい倫理規定があった。
 何がならぬことであるかは、弱いものをいじめてはいけませぬ
 など10数箇条にわたるものだったと思うが。
詳しいことは調べればすぐ出てくるはずだ。
 婦人と立ち話をしてもいけない。

当時、藩とは言わないので、会津家 である。
ゆえに、家訓(かきん)と称される。

 さきほど、北国の、北星学園の、
義家○介先生をちゅうしんとしたNHKの取材番組が流れ、
 いささか、熱心に拝聴していた。

 悪いことは悪いこととして、小さい芽のうちに徹底して
つぶしていくのだとする。

 余市町といえば、明治の開拓団として、
  会津人が入植し街づくりをした。
なにか、つながるものがあるとすればおもしろいが、
 ともかく、ならぬ哲学ではある。

会津藩の「ならぬ哲学」は、幼少から、少年団の中で
 自立的に鍛え上げられていた。そのグループは、
 什 と言われ、家訓とは別の、什の教え
  であったのです。

家訓は大人用、什の教えが、生徒指導ですね。

 ところで、私は、小さいゴミも捨てず、唾も吐かない、
路上とは、江戸時代は清潔であったことが、外国人の
 手記にも表れているそうな。
 そのた、細かく検討して、しかるべきではないかっかっか。

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