幻学四重奏

2004年5月25日 読書
 カント「純粋理性批判」の岩波文庫を半年ぐらい持っていました。
 このたび、ご指導によりまして、ちょと思い出しました。
幸い、ウェブ上で、第二版の前書きをちらと見ることできた。
 数学や自然科学が進歩したように
哲学も弁論術ではない哲学的有効を多々炊き出そうではないかっかっか。
 そんな感じ。読んだ覚えはあった。
 その後、僕は、数学科に行った。
  数学で哲学殻何から使用としたのです。
しかるに、形而上学(哲学)方面の語彙は
直感、感性、純粋理性、実践理性、道徳と宗教、偶然性の哲学
 すべて何を言っているのか若菜内。 では、詳説を読んでみよう。

 わからないのも当然である。わかる人は何人いるであろうか、と大学の専門化が
講座を開いて金を徒労とも、アリストテレスがわからないんだから、
 すでにわからない落ちがある。 翻訳だから。
 「老子」の研究をした人がいて、どの解説書もわからない、
 拙者はこう読めた、と、本を出した。近頃の老子情報は、
 英文の老子が、わかりやすいともっぱらの評判である。
 あの人は、小川環樹訳もさっぱりだと書いていた。
 さて、前書き(あるいは序文)が、言っているのは、「伝統的な、イデア論争に立つとき
私は、[形而上学]が{僕はアリストテレスの責任か知らないが、}
 途中から、経験主義に傾いてしまったと考える。
 ソクラテスプラトンの復興がなされるべきであろう」

 「批判」されるのは、単純に明快にアリストテレスであったのではないか。
ところで、NHK新撰組のテーマが、タンタンタンタリラターン
 とする印象的なフレイズで記憶された。タリラが、3連符です。
 4/8 に書かれるかもしれないが、4拍子のボレロ風である。
 アクセントが、強弱強弱/強弱2/ の一般の一辺倒
   ではなく、2拍4泊の上にストレスが書かれてもおかしくない。
 それだけで終わらない独特のリズムがそこにできるのではないか。
  
 いかにして、良い音楽を作り出せるか、と考えてることにも、哲学のモデルが
  そこにある。音楽理論が極められては伊豆、
   哲学理論自体が完成されたのではない。

 カントの父が時計職人であり、カント自身が時計であった。
  時計が、彼の哲学的モデルだったのです。うっそー。

 あそうだ、諸科学の進歩が、哲学にとっても
  有効に作用してくるでしょう。
 ところで、哲学とは何であったか。
  形式論理学が、どういうものかと考える狭義のものです。
   しーらない。では、哲学の杜杜へ。

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