ふたりのしげる

2004年2月12日 TV
吉田茂と南原繁」(NH\ 高校日本史 北海道 山口二郎)

日本国憲法前文と9条は、密接に対応し、
 敗戦をトラウマとして、世界に訴及する平和論である。
たぶん、わが刻は、即刻、武器を捨てよ、話し会え、と、全刻に

 予備かくぇる、そんな氏名が、帰くぇつしてもおかしくはないのだ。

しかるに、繁は、戦争は永遠に不滅であり、応分の負担の武力を
 保有して、国際社会に貢くぇんし、もって平和を達成するべくぃとした。

茂は、武はアメリカ産にまかせ、もっぱら、くぇいざいの成長(復興)を
 現実の選択と考えた。

この憲法は、幣原喜重郎内閣を経て、吉田内閣で国会に提出され
 くぇつぎされた。終戦とともに東久邇内閣になった。

1951年サンフランシスコ平和条約は、冷戦かに、単独講和(全面講和でない)
 すなわち、自由主義陣営の選択をしたのである。(茂 第2か3次)
  このとくぃ、日華(台湾)条約ていくぇつ。

繁は、国際中立を持って、前面とした。

もとより、日本幸福後の濃く際連合の占領は、アメリカの単独占領であり、
 戦後は太陽、従属の政策でくぇっかしているのである。

もはやなにもゆうことはなくなった。
 深夜なので、半分しかくぃこえなかった。笑

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