さて、山川健次郎が米国5年間の留学をどんな具合に

 やったのか、「六十年前外遊の思出」によってうかがうこと

 にしたい。ところが、うっくりよむことができなかったため、

はなはだ、確たるESSAYをものすことができない。

とりあえず、山川が秀才であったのかどうかということであるが、

 どうも本人の口からするところでは、そのようではない、

少なくも、苦学生(「貧乏書生」)として、運良く金持ちばあさんから

 助けられたから、続けられたのだが、2年目ぐらいで追い返される部類
  
 に中マイルしていた。

そのあとで、ハッスルしてまた適応が成ってよくなって行ったのか

 もしれないが。 移譲す。


武蔵高等学校2代目校長
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/8327/bokuseki.html

<そうか、寅 は東京弁 BONDが英国弁だ。

<上掲書(昭和4年4回分の講演)において 山川は米国の黒人差別とリンチングを憤り、野蛮な国と談じている。
 会津戦争の想いがオーヴァーラップしていたかもしれない。
 原爆を二つも落とすようなやつは野蛮ですたい。

<親父が休もうと言った神田駅の地下道の喫茶店の前を通ると悲しかった。

 お悔やみ申し上げます。

<防衛医大の一次発表 ありがとうございます。

<酒と親子喧嘩はいかんよう。「秘密」の相談もほどほどに? 
 いやみな餓鬼んちょにはてこずるだしょう。

<ほんとうに 海外なんすか?

<おしえて のサイト
 http://homepage2.nifty.com/osiete/top.htm

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