「山嵐」

2002年11月7日
集英社 2000年発行 今野敏 著 
 西郷四郎史伝小説
  講道館以後の姿三四郎もおもしろかったのである。
西郷四郎よりも強かった武田惣角が西郷頼母の
 後継者として大東流柔術を引き継ぐのであるが、
  大東流とは、アジアを意識した四郎の命名である
   という、作者の創見がある。まさに
    ここに、四郎の主題が凝縮されている。
<カラテ道場を運営しながら、小説家のベテランとなっている氏のホームページ
は、http://www.age.ne.jp/x/b-konno/index.htm  イルカが跳ねてますな
ところで、年譜的になかなかよく把握されたらしい小説であり、
 津川町に帰ったのは、そして道場を開いたというのは、
  朝鮮に渡る前の合間のことであり
 25歳講道館を去ったのは、あくまで長崎の鈴木天眼派を目指して行った。
    (天眼は、会津人日下義雄長崎県令とともに長崎に来たとされる。)
   大陸活動家だ。二本松の出身である。
    かくあって会津人の知友井深彦三郎が長崎にいて講道館の
     四郎を呼び込んだかたちだ。会津人佐瀬熊鉄もいた。
ここから30年が基本的に長崎である。大陸にどのくらい
行ったか、30年は謎があろう。
武道の境地・極意の展開が並行する。講道館の西郷の続きで武道指導・私闘。
 氏の1997年の合気道小説「惣角流浪」にも、西郷父子が登場するはずであり、
 あわせ読むべきらしい。惣角も会津である。(知らなかった。)
史伝としてあらけずりである。嘘も書けないし(資料もないのだろうし)。
(また、歴史作家をしてるのではなく、武道のいき方が基調。)
辛亥革命の前に台湾も行っている。
辛亥革命(東洋日の出新聞が孫文を支援、となっている)では
50日間の報道記事活動で戦火をくぐった。
 孫文自身は登場しない。その辺の史実
  は定かでないのだろう。
晩年広島の尾道にリュウマチの治療に(なぜ?)
 来て二年目に死ぬ、56歳。尾道市では、柔道着姿で立つ銅像も建ち
  命日の12.23に柔道大会
が開催されているようです。(以上間違ってたらごめんなさい。)

+ 異途の出発

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